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オニツカタイガーをなぜ復刻させたのか
編集部(以下色文字):アシックスは2002年にオニツカタイガーを復刻し、以来、日本だけでなく、中華圏や東南・南アジア、欧州などで人気を誇るブランドへと成長しました。アシックスというブランドの地位が確立されていた中、なぜオニツカタイガーの復刻を決めたのか。その経緯を教えてください。
庄田(以下略):アシックスという会社の歴史は、鬼塚喜八郎が1949年に発足させた鬼塚商会から始まりました。その後、1977年に別の2社と合弁して商号がアシックスに変わり、その際、展開するブランドをアシックス一本に絞り込むために、オニツカタイガーというブランドは休止しました。
鬼塚喜八郎はそれからも、自身の志の象徴であるオニツカタイガーブランドを復刻させたいという想いを秘めていたのだと思います。加えて、当時の欧州のファッショントレンドが復刻を後押ししました。その頃の欧州では、最新技術を搭載したテッキーな靴だけでなく、より伝統的なロープロファイルの靴がブームでした。オニツカタイガーがそのど真ん中の特徴を備えていたことが、復刻につながったと聞いています。
その決断は当たりました。なかでも、2003年に公開された映画『キル・ビル』の中で主演のユマ・サーマンが着用し、それを受けたプロモーションが成功したことで、海外のセレブリティやトップモデルが愛用するブランドとして認知され、オニツカタイガーは売上げを大きく伸ばしていきました。
庄田さんは2011年にアシックスに入社されて以降、オニツカタイガー事業の責任者を務めてきました。当時、オニツカタイガーはどのような状況にあり、庄田さんにはどんな役割が期待されていたのでしょうか。
オニツカタイガーの売上げは2009年頃から低迷し、ブランドとしては苦しい状況を迎えていました。その大きな要因は、アシックスとオニツカタイガーが独立した運営を行わなかったことで、オニツカタイガーがアシックスというメインブランドのサブカテゴリーの一つになっていたからです。
オニツカタイガーは、ファッションのオニツカタイガーとスポーツのアシックスは別の販路で売るという戦略を打ち出し、復刻当初は固有のブランドとして認知されていましたが、徐々にメインブランドのアシックスを中心に据えた体制が敷かれるようになると、オニツカタイガーもスポーツエリアで販売されるようになりました。アシックスといえばスポーツ、スポーツといえばテクノロジーという確固たるイメージが確立されていた中、オニツカタイガーはスポーツの機能性に劣る靴だと思われていたのかもしれません。
私がオニツカタイガーから声をかけてもらった時点で、具体的な方向性の提案はありませんでした。創業者の名前がついたブランドがあり、成長させたいと思っているが、スポーツインダストリーではない人に任せたい。ラグジュアリーファッションブランドの経験を活かして何かできないか──。私はその話を聞いた時、このブランドをファッション業界の視点から捉えることで、オニツカタイガーは次のステージに行けるのではないかという感触を持ちました。
ブランドイメージを転換することは通常でも難しく、負の印象が定着していたとすればなおさら、新たにポジティブなイメージを確立するのは困難です。ブランドの再建という仕事を引き受けるに当たり、庄田さんから提示した条件はありますか。




