複雑さが異なる5つの状況

 1993年1月、シカゴ郊外のパラタインにあるファストフード店で、銃乱射事件が起こり、7人が死亡した。これにより、パラタイン警察署の副署長、ウォルター・ガシオは急きょ、従来の管理責任者と新たなスポークスマンという二役を兼ねることになり、異なる状況に同時対応することになった。つまり、嘆き悲しむ遺族に話をし、恐怖に脅える地域住民をなだめ、警察幹部の一人として殺到する業務を指揮し、マスコミの質問に答えたのである。

 パラタインでは、リポーターやカメラ・クルーであふれ返っていた。ガシオいわく「署内の実務をこなしながら、マスコミの質問に答えなければならず、大げさでも何でもなく、同時に4人の人に対応しなければなりませんでした。しかも、日常業務もあったのです」。

 彼は、これら複数の仕事をうまく切り回したが、異なる意思決定や対応を一時に求められて、だれもがガシオのようにうまく対処できるわけではない。それどころか、通常のマネジメント手法は特定の状況ではうまくいくが、それ以外の状況では役に立たない。また理屈からすればうまくいくはずなのに、どうも勝手が違う場合もある。

 その原因は、組織論やその実践手法が前提としている考え方にある。それは「世界には一定の予測可能性と秩序が存在している」というものだ。つまり、科学的管理手法の前提にはニュートン力学的なモデル化が存在しているといえる。

 それは、たしかに道理が支配する環境ならば、通用するだろう。しかし、環境はたえず変化するものであり、複雑化すれば、モデル化では通用しない状況もある。つまり、いかに優れたリーダーシップ手法も万能ではないのだ。そろそろ従来のリーダーシップと意思決定の手法から脱却し、複雑系科学に基づいた新しい手法を導入する時期に来ているのではないか(囲み「複雑性の特徴を理解する」を参照)。

複雑性の特徴を理解する

 複雑性という考え方は、新しい数理モデルの手法というよりも、世界について考えるためのものである。

 1世紀以上も前、「科学的管理法の父」と呼ばれたフレデリック・ウィンズロー・テイラーはリーダーシップに革命をもたらした。現在、進展する複雑系科学は、認知科学の知識と結びつき、リーダーシップの分野に新たな革命を起こしつつある。

 複雑性は、現在または未来のリーダーが、高度な技術、グローバリゼーション、複雑な市場、文化の変化など、きわめて多くのことを理解するうえで役に立つ。端的に言えば、人類史におけるこの新しい時代の課題やチャンスを解明する一助となるのが複雑系科学なのだ。

 複雑系には、次のような特徴がある。

・実に多くの要素が、相互に作用し合っている。

・その相互関係はけっして線形ではない。小さな変化が、考えられないくらい大きな結果を招くこともある。

・システム(系)というものはダイナミックであり、また全体は部分の総和以上のものである。また、解決手段は与えられるものではなく、状況のなかから湧き上がってくる。この現象はしばしば「創発」と呼ばれる。

・システムというものにも歴史がある。現在は過去の産物である。要素の進化は、他の要素や環境に依存している。また、進化というものは不可逆的である。

・後から考えてみると、複雑系にも何らかの秩序があり、予測可能のように見えるが、実際には、各システムも、またその外部条件も絶え間なく変化しており、後知恵から先見が得られることはない。

・システムによってエージェント(主体)の行動が制約される秩序系や、まったく制約のないカオス系に対して、複雑系ではエージェントとシステムが互いに制約し合う関係にあり、それは時間の経過と共に強化される。そのため、複雑系では何が起こるのか、予測がつかない。

 複雑性にまつわる理論が登場した当初には、「複雑な現象も、単純なルールから生じている」と考えられていた。

 たとえば、群れで飛ぶ鳥には、「群れの中央に入ろうとする」「飛ぶスピードを合わせようとする」「衝突を避ける」といったルールが働いているとする。このシンプル・ルール理論は、工業生産やモデリングに応用され、かなり有望視されていた。しかし、この理論だけではうまくいかなかった。

 また最近では「人間には予測不可能性と知性があるため、人間界の複雑系と自然界の複雑系ではまるで異なり、自然界と同じようにはモデル化できない」という意見が、理論と実践の両面から出始めている。人間が他の動物と異なるのは、次の点である。

・人間のアイデンティティはけっして1つではなく、複数あり、それらを自由に、意識することなく切り替えている。たとえば地元で尊敬を集めている市民が、実はテロリストだったということもある。

・人間の意思決定プロセスに論理的で明確なルールはなく、過去の成功や失敗のパターンが根拠になっている。

・人間は、ある環境下において、たとえばシックス・シグマを導入するといった具合に、予測可能な成果を上げるために、安定した状態で作業できるよう、システムを意図的に変えることができる。

 組織に複雑系科学の原則を利用するには、リーダーがそれまでの思考法や行動から脱却する必要がある。たしかに容易なことではないかもしれないが、これができなければ複雑な状況には対処できない。

 我々は過去10年にわたって、さまざまな業界の企業や公共機関において、複雑系科学に基づく手法を試行してきた。そして、他の研究者たちと協力してつくり上げたのが、この「クネビン・フレームワーク」である。

「クネビン」とは、ウェールズ語で「人間は、自分では気づかないものの、さまざまな要素の影響下にある」という意味の言葉である。クネビン・フレームワークによって、リーダーとして新たな視点から状況を見極め、複雑な考え方を取り入れ、現実の問題や機会に実践することができる。

 また、これを利用すれば、これまでの事例や将来想定しうるシナリオに基づいたフレームワークを構築できるようになる。この結果、コミュニケーションが活発化し、状況を迅速に把握できるようになる。