-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
-
PDFをダウンロード
摘出手術よりも仕事
娘のアレックスが生まれたのは、筆者が博士課程3年目に在籍し、中間試験を受けている真っ最中だった。喫茶店で持ち帰り(テイクホーム)試験と格闘中に陣痛が始まったのだ。筆者は「陣痛が一定の間隔になるまで試験を続けよう」と自分に言い聞かせ、数時間耐えた。しかし、そのうち痛みに耐えられなくなり、しぶしぶ試験を中断して帰宅した(その後、すぐに病院に向かった)。
その日とアレックスが誕生してからの日々は、出産という経験と子どもが生まれた喜び、家庭づくりの記憶で彩られるはずだった。しかし、筆者は中間試験を終えていないことを気に病むあまりパニックになった。そのため、出産後72時間も経たないうちに無理やり学業に戻った。次の週は眠れない夜が続き、意識が朦朧とした。気力を呼び戻せた時には、一心不乱に勉強した。その後また休暇を2週間取ったが、その“休暇”が明けるとすぐに、授業と講師の職に戻った。
なぜ期末まで代行の講師を頼んだり、博士課程の延長を申請したりしなかったのかと、いまになって自問することがある。文字通り新生児を抱えていたのに、なぜそこまで学業にのめり込んでいたのか。答えは簡単だ。筆者はワーカホリックだったのだ。
ワーカホリックは、ただ単に長時間働く人を指すのではない。実際、労働時間と、問題のある“過重労働”やワーカホリズム(仕事中毒)との間の相関関係は乏しい[注1]。ワーカホリックとはむしろ、仕事から離れられない有害な状態を指す。思考や活動が仕事に支配され、人生の他の側面や人間関係、健康面に悪影響が及ぶようになれば、ワーカホリックの傾向がある。
ただし、これが臨床に基づく診断でないことには注意が必要だ。『精神疾患の診断・統計マニュアル[注2]』(DSM)にも、この診断法は記載されていない。だが、ワーカホリックに関する文献は豊富で説得力がある。ワーカホリズムは、その症状に悩む本人と、本人が働く組織の両方に害をもたらす。企業は往々にして、過重労働の文化を助長していることに気づいてすらいない。筆者は企業がこの文化を変える方法について『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)に寄稿したことがあるが[注3]、企業の取り組みだけでは十分ではない。あなた自身も変えようと努力しなければならないし、それは属人的な変化であるべきだ。
娘が生まれてから数カ月間、学業を優先させたことに筆者はいまでも罪悪感を覚える。こうした経験は筆者だけに限らない。そういえるのは、筆者自身の研究があるからだ(研究成果のほとんどは著書Never Not Working[注4]で公表している)。筆者がインタビューをした人たちの多くは、自分がワーカホリックだと自覚すると、同じように罪悪感を覚え後悔したと心中を吐露した。
IT企業を創業し、CEOを務めるゲイブを例に取ろう。彼が仕事のためにどれだけ犠牲を払っていたかに気づいたのは、思いがけない時──映画『きみに読む物語』のラストシーンを見ている時──だった。彼はそのシーンに登場していたカップルの間の深い絆について考え、後悔の念にさいなまれたことをいまでも覚えていると言う。自分自身と妻子との関係を振り返り、自分が望んでいた人生を送っていないことを悟ったのだ。彼は家族より仕事を大事にし、当時は週に60~80時間働いていた。仕事をしていない時でも、常に頭の中で仕事のことを考えていたと本人も認めている。
教育機関のリーダーのエレンもそうだ。彼女はふと気がつくと、毎日朝8時から夜10時まで働いていた。そのうえ、さらにもう1本メールを送るために夜中に起き出すこともしばしばだった。自分の体をいたわることも後回しにしていた。医師が彼女の胸に腫瘤を認め、摘出手術の予定を組もうとした際には、丸1カ月先の休暇まで待ってほしいと交渉した。手術を受ける頃には、彼女のトリプルネガティブ乳がんは著しく増殖していた。それ以上先延ばししていたら、命を落としていたかもしれない。彼女は当時を振り返って、仕事で成功するために自分がとてつもない犠牲を払っていたことに気がついた。摘出手術の日程を遅らせたことについて、彼女は悔やんでこう言った。「私はどれほど馬鹿だったのか。生きるか死ぬかの瀬戸際まで自分を追い詰めてしまった。すべて、ワーカホリズムのせいだ」