「誤解された自己犠牲」に陥っていないか

編集部(以下色文字):近年、管理職は「罰ゲーム」だと揶揄されるほど、その負担感が増しているといわれています。中竹さんが「コーチのコーチ」としてお会いされる指導者や管理職の方は実際、どのような状況に直面されていますか。

中竹(以下略):私がお会いする管理職の皆さんも大きな負担やさまざまなストレスを抱えていると実感します。変化の激しい時代において、どの企業も収益を上げる難しさに直面する中で、現場を司る管理職に多大なしわ寄せが及んでいるためです。これまでの管理職も大変な役割だったと思いますが、いまが最も厳しい時代ではないでしょうか。

 一方で、管理職の方の中に「誤解された自己犠牲」が蔓延しているとも感じています。やるべきタスクは増え続けているが、部下には過度に仕事を頼めない。そこで、管理職である自分が犠牲になって頑張り、乗り越えようというわけです。ですが、これは私から見れば、自己犠牲ではありません。

 自己犠牲とは、みずからを犠牲にして他者を助け、より高い目標を達成することです。その象徴的なものが、私も携わってきたラグビーに根づく精神です。「One for All, All for One」という自分にしかできないことを通じ、チームの勝利に貢献することを指します。ですが、昨今の働き方改革などの流れを受け、部下に残業させられず、仕事を任せられないから自分がハードワークするというのは、はたして自己犠牲でしょうか。こう言えば部下に嫌われる、ハラスメントになるかもしれない。だから自分が頑張るというのは、自己保身だと思います。そもそも本当に部下に仕事を任せられないのか、自分のアプローチ方法をよく考え直すべきです。

 また、みずからコントロールできる自分の時間だけに頼って、睡眠時間を削って頑張ろうとするのは、けっして持続的な働き方とはいえないでしょう。

 部下に仕事を任せられないのは思い込みもあるということですが、一方で業績に対する上司からのプレッシャーはたしかに高まっているように思います。

 組織にはチャレンジングな目標や、ある程度のプレッシャーが欠かせません。必ず達成できる目標に向かって頑張るより、成功するかどうかわからない目標のほうが、人間の探求心は湧くものだからです。しかし、いまの管理職は、それ以上のプレッシャーを抱えているか、あるいは実態以上に大きなものと捉えすぎている傾向があるように思います。

 もし、この目標が達成できなかったら自分の会社員人生が終わってしまう。他の人はみんないきいきと頑張っているのに、自分だけがこの問題を抱えて不安で苦しい。こう思い込んでしまうのは、人間はネガティブになると、物事を過大に認識してしまうからでしょう。しかし、当然ながら、みんな同じ悩みを抱えています。同じ境遇にあっても、共有する場がないから気づかないだけなのです。