「眠れる巨人」の復活

 シーメンスの前CEO、ハインリッヒ・フォン・ピーラーは、1992年に就任してからの12年間、みずから描いた「抜本的な構造転換」という構想を実現すべく、その陣頭指揮を執ってきた。卓越した技術力がありながら、愚鈍な巨大企業と評されていたシーメンスを、俊敏で統率された多国籍企業へと再生するのは並たいていのことではなかった(「就任当時と現在のシーメンス」を参照)。

 フォン・ピーラーの指揮の下、シーメンスは事業ポートフォリオを組み替え、海外拠点を192カ国に増やし、さらに各国の地域市場を重視する企業文化を育んできた。その結果、いまでは世界有数の経営力と競争力を誇る企業として生まれ変わった。

 本稿では、事業ポートフォリオの再構築をはじめ、ゼネラル・エレクトリック(GE)との競争を通じて得た教訓、そしてヨーロッパ企業とアメリカ企業の長所と短所などに触れながら、企業変革を実現させるための条件とは何か、また伝統という壁をどのように乗り越えたのかを語る。

構造転換の条件

HBR(以下色文字):まず、就任当初のことからお聞かせください。何ゆえシーメンスのCEOに選ばれたとお考えですか。

ピーラー(以下略):私はいかにもCEO向きという人間ではありませんでしたし、人に負けないくらいのキャリアを積んできたわけでもありません。CEOの選出に当たる監査役会[注1]が、ちょうど私のような変わった経歴の持ち主を探していたということでしょう。

 シーメンスは内向的な企業ですが、傲慢と評されることもよくありました。私がCEOに就任した当時のドイツ──売上高の半分を稼ぎ出し、社員の過半数が住んでいました──では特にそうでした。このようにドイツ中心主義の会社でしたから、社内のみならず社外とのコミュニケーションにも長けた人物が求められたようです。