自動車時代をつくったフォードとデュラント

 1908年に起きた2つの出来事――それは自動車産業史に永遠に刻まれることになる。

・ヘンリー・フォード(1863年~1947年)、〈T型フォード〉を発表。

・ウィリアム C. デュラント(1861年~1947年)、ビュイック・モーター・カンパニーを発展させてゼネラルモーターズ・コーポレーション(以下GM:当時の正式社名はゼネラルモーターズ・カンパニー)を設立。

 それぞれ、一企業、一車種の誕生をはるかに超えた意義を持っている。土台となったのは異なったものの見方、異なった哲学であるが、いずれの哲学も、自動車産業の発展にこのうえなく重要な役割を果たしていくことになる。

 いち早く脚光を浴びたのはヘンリー・フォードである。フォードの時代は19年にわたって続き(〈T型フォード〉は1927年まで生産された)、氏の名声を不朽のものにした。

 他方、デュラントのパイオニア的な偉業は、いまだそれにふさわしい評価を得てはいない。デュラントの哲学は、〈T型フォード〉が市場を支配した時代には理論の域を出ておらず、後年、デュラント自身ではなく別の人々の手によって実現される。私もその栄を担うことになった。

 ウィリアム C. デュラントとヘンリー・フォード。両氏は、比類ない慧眼によって、自動車産業の創成期にすでにその大いなる可能性を見抜いていたのである。

 当時自動車といえば――とりわけ銀行家の間では――〝娯楽の道具〟と見なされていた。高価で一般の人々にとっては高嶺の花だったにもかかわらず、性能には不安が残っていた。道路もほとんど整備されていなかった。

 このような状況にもかかわらず、デュラントは1908年――アメリカの自動車生産台数が全体でわずか6万5000台だった当時――、早くも年間の生産台数が100万台に達する日を夢見ていた。そしてそれがゆえに、誇大妄想ではないかと冷ややかな目を向けられた。

 フォードのほうは〈T型フォード〉によって、他社に先駆けて「年間100万台」を達成しようと前進を始めていた。1914年にアメリカの自動車生産台数は50万を超えた。〈T型フォード〉単独でも、16年に50万台を突破し、20年代初頭には一時、年間で200万台を超えた。