インド人は世界のマジョリティ

 インドは、1991年に再び経済開放して以来、とりわけIT産業が劇的な成長を見せている。事実、デカン高原南部のバンガロールが「第2のシリコンバレー」と評されていたことは記憶に新しい。

 そして2003年10月、ゴールドマン・サックスが発表した"Dreaming with BRICs: The Path to 2050"というリポートによって、インドへの注目はさらに高まった。中国に次ぐ「約束の地」として各国の企業がインド・シフトを進めている。しかし、このアジアの巨象の実態は、なかなか見えてこない。日本企業もすでに300社近くがインドに進出しているが、おしなべて苦戦している。

 大前研一氏は、マッキンゼー時代を含めると、かれこれ20年以上、インド人と一緒に仕事をしてきた数少ない日本人の一人である。

 たとえば、96年、いまやインドを代表する世界的IT企業、インフォシス・テクノロジーズ、サティヤムコンピュータサービス、DCMテクノロジーズらと合弁で、ジャスディック・パークを興した。

 また、91年にアメリカで発刊されたThe Mind of the Strategist(邦訳『企業参謀』)は、インドで16万部を超えるベストセラーとなっており、インド財界の首脳をはじめ、インドのビジネス・プロフェッショナルたちのアドバイザーとして、広く深くインド産業界と関わってきた。

 本インタビューでは、グローバルな視点から、インドをどのように理解し、またいかに彼らとつき合うべきか、その攻略の手がかりを聞く。

DHBR(以下色文字):21世紀の経済をグローバルに展望した時、インドという国家のみならず、インド人の存在を無視することはできません。マッキンゼーのコンサルタントだった当時も、また現在でもたくさんのインド人とコラボレーションされていらっしゃいますが、その実体験から、インド人の特徴についてお話しいただけますか。

大前(以下略):72年に私が入社した当時、マッキンゼーはアングロサクソン系の白人、要するにWASPの集団でした。実際、パートナーは全員アメリカ人、クライアントはIBMにゼネラル・エレクトリックといった具合でした。しかし80年代後半、パートナーが400人くらいに増えた頃には、インド人がその10%を占めるようになっていました。