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バーチャル・チームの驚くべき成果
ボーイング・ロケットダイン・プロパルジョン・アンド・パワーにすれば、冷戦は何ともありがたかった。アメリカが周回軌道衛星第1号を打ち上げた1958年以来、80年代まで、ロケットダインは液体燃料ロケット・エンジンの最有力メーカーだった。
しかし、ソビエト連邦の崩壊後、通信衛星や気象衛星のメーカーは、新生国家のロシア産の安いエンジンを好むようになった。そのため、ロケットダインのプログラム・マネジャーであるボブ・カーマンは、自社カタログのどの製品よりもはるかに簡単で安価なエンジンを思い描くようになった。
とはいうものの、そのような製品を設計するには、専門知識を有する人材が必要だったが、あいにくカリフォルニア州カノガパークに2カ所あるロケットダインの研究所には見当たらなかった。
カーマンが探していたのは、シミュレーション・ソフトウエアの優秀な応力解析家である。そのような人材ならば、さまざまな選択肢についてコンピュータ解析できるため、高価なプロトタイプを製作せずに済む。また、きわめて緻密な部品を少量生産するノウハウを持ち合わせているエンジニアがどうしても必要だった。
トップクラスのシミュレーション解析家は100マイル離れたカリフォルニア州サンタアナにあるMFCソフトウエアに、同じくAクラスのエンジニアはダラスにあるテキサス・インスツルメンツで働いていた。
注目すべきは、それぞれが他社の製品設計を自社向けに再設計するスキルに長けていただけでなく、設計エンジニア本来の仕事、つまり独自に設計することにも優れていた点である。
「外部の専門家の力を借りること、とりわけロケット・エンジンを製造した経験のない企業と提携することは、ロケットダインの取締役たちの目には、一種の冒険と映ったようです」。カーマンはこのように回想する。
彼が集めた8人からなるグループは、通常のおよそ10分の1程度のサイズだったが、リサイクル可能なロケット・エンジン〈SLICE〉の設計に開発に要した期間は、前任者たちのたった10分の1だった。しかも実働時間はその1%足らずであった。また、たとえば推力室やターボ・ポンプなどは、何百もの部品を使う代わりに、ほんの二、三の部品で特色づけ、製造コストを何百万ドルも削減した。