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音楽の「文法」と「科学」に裏打ちされたアンサンブル
スコア(総譜)と指揮棒──。指揮者の商売道具である。だが小澤征爾は、そのいずれも携えることなく、颯爽とステージに現れる。スコアはすべて暗譜しているから、必要としない。指揮棒は両の手が代替する。
指揮棒を使わなくなったのは、ヨーロッパのとある演奏会場に置き忘れ、急場しのぎに手を使ったところ、演奏家たちはだれも違和感を抱かなかったからだという。
小澤がクラシック音楽の本場であるヨーロッパに渡ったのは1959年、23歳の時。指揮者のコンクールで「一等賞男」となった小澤に、当代一流の指揮者の目が注がれた。シャルル・ミンシュ[注1]、ヘルベルト・フォン・カラヤン[注2]、レナード・バーンスタイン[注3]。「世界のオザワ」への道程に立ち会った師匠たちである。
この3人が「花を開かせた人」であるとすれば、齋藤秀雄[注4]は「種を播いた人」である。クラシック音楽を「文法」と「科学」の両面から分析し、体系づけた「齋藤メソッド」が、指揮者・小澤を創造した。
音楽を言語に置き換えて文法解析的にとらえ、指揮の仕方を運動生理学的に把握する。この両輪をフル回転させ続けてきた小澤に、オーケストラのアンサンブルについて聞く。
聴衆を忘れた音楽が増えれば
原初的なコミュニケーションが大切になる
編集部(以下色文字):100人近くの演奏者を束ね、イメージするアンサンブルを紡ぎ出していくに当たって、小澤さんは「共生感」を重要視されています。音楽の世界においては、あまり聞き慣れない言葉です。
小澤(以下略):僕が「共生感」の大切さを特に意識するようになったのは、トロント交響楽団の常任指揮者をしていた60年代の後半ですから、40年くらいも前のことです。たしか、広中平祐先生[注5]と当時テレビマンユニオンの社長だった萩本晴彦さん[注6]の3人で話をしている時のことだったと記憶します。ちょうどステレオ録音のLPが出始めた頃で、僕のある一つの体験が話のきっかけになりました。