HPの「iコミュニティ・プロジェクト」
インドのバンガロールから離れること100マイル余り。クッパムを抜ける道々はほこりっぽく、車、荷車、軽三輪車や歩行者の往来で賑やかだ。周辺の農村地帯の住民もここクッパムまで、何時間もかけて足を運ぶこともしばしばだという。買い物をしたり、さらに先の町に向かうバスに乗ったり、公共のサービスや物資を利用したりするためだ。
とはいえ、ここで受けられるサービスは同地域で急増している問題に応えるには、およそ十分とはいえない。クッパム周辺の村に在住する30万近い人口のうち、半分以上は貧困線(ある国や地域、もしくは共同体において生活するうえで最低限必要とされる所得額)を下回る暮らしにある。
一家の稼ぎ手に仕事が見つかったとしても、それは通常、出稼ぎや季節的な農作業であることがほとんどだ。市民の3人に1人が読み書きできない。全世帯の半分以上は電気が通っていない。クッパムがあるアンドラプラデシュ州では、400万人以上の子どもが学校教育を受けていない。
これらの問題に拍車をかけるのがエイズ患者の多さだ。この州では、40万人以上がHIVに感染している。一見健康のようだが、実は一家の大黒柱を支える者の多くがこのなかに含まれている。
この厳しい環境こそが、ヒューレット・パッカード(HP)がクッパムを最初の「iコミュニティ・プロジェクト」の一つに選んだ理由だった。iコミュニティは、ITをテコに地域の経済発展を加速させるために、行政や市民と協力しながら、新規市場を開拓し、新しい製品やサービスを開発するという趣旨の活動である。
行政や一般市民と一緒にエコシステム(生態系)を形成することで、HPはクッパム地域の経済を自律的で活力にあふれたものに変えることができればと期待する。
具体的には、この地域でITを普及させることで、識字率を高め、所得を増やし、新市場を創出し、公共サービスをはじめ、教育サービス、ヘルスケア・サービスが利用できるようになることを望んでいる(囲み「インフォメーション・センターで過ごした1時間」を参照)。
インフォメーション・センターで過ごした1時間
クッパムのコミュニティ・インフォメーション・センター(CIC)は街の中心にあり、主要なバス・ターミナルの目と鼻の先にある。住居、果物売りの手押し車、小物、腕輪や花を売る露店や店舗に囲まれ、中央市場の中心でもある。
大きな看板がかかっているが、これは今日インドの至るところで見かけるものだ。黄色と赤で書かれた「PCO」という文字が目を引く。PCOは"public call office"の略で、そこに行けば電話がかけられる、いわば公衆電話である。看板には「コピーができます」「ファックスなど、各種コミュニケーション・サービスも使えます」と書かれている。
狭い階段を上がると、約37平方メートルほどのオフィスがあり、そこには机が4台整然と一列に並び、それぞれにコンピュータが1台ずつ置かれている。ユーザーはコンピュータを使ってHPが作成した「iコミュニティ」のポータルにアクセスして、さまざまなサービスや福祉に関する情報を得ることができる。
高卒の学歴を持つ25歳のウマ・ラニは、このCICを共同で所有する3人のうちの一人で、今日はオフィスに出勤している。ほかの2人の新人起業家は、ワールド・コープによる厳格な審査の末に選ばれた人材である。ワールド・コープは発展途上国における雇用創造をミッションとしている組織である。
3人は力を合わせてこのベンチャーを立ち上げた。その資金は、州知事による青年雇用プログラムが後援する融資で賄った。HPはCICのほとんどの機器を提供し、CICからアクセスできるiコミュニティのポータルで提供されるオンライン・サービスの多くを設計した。
チェリアは典型的な飛び込み客だ。カンクンディは隣の村だが、彼はこの村の出身で、齢は65歳。そこでただ一つの学校の校長を務めていたが、1年前に引退した。彼がクッパムに足を運んだのは、所有する土地の登記について役所に提出した請願書について再度問い合わせるためだ。
したがって、これから提出する文書をコピーしなければならない。ウマ・ラニはコピーを取りながら、チェリアと家族やカンクンディでの暮らしについて話しかける。そして、「少々の時間が気にならなければ、ここでHPのiコミュニティのポータルを使えば、新しいサービスに応募できますよ」と彼に教える。
彼女はまた、「引退した教員のために政府が始めた援助について聞いたことがありますか」と尋ねる。「知らない」と彼は答える。さらに彼から情報を得た後で、ウマ・ラニは彼の役に立ちそうな制度の数々をプリントアウトしてあげる。
チェリアがCICを去る時には、教職者への恩給申込書をオンラインで提出し、その確認書も受信されていた。恩給の申請には地区の承認が必要だが、1週間以内には何らかの返答がもらえるだろう。
またウマ・ラニは「翌週たまたま共同経営者のスレシュが、放課後、高校生たちを連れて、電気使用量のメーターを検針するためにあなたの村を訪れるので、その際、今日の申請の結果がどうだったか、彼女にことづけておきますから」と告げた。
一方、隣の駅では、ウマ・ラニのもう一人のパートナーであるクリシュナがラクシュミアマに小切手を手渡している。ラクシュミアマはいま身重の体だが、彼女にもチェリアと共通するところがある。
彼女は先週、月に一度の定期検診にクッパムに出てきた際、たまたまCICに立ち寄って電話をかけたのだった。彼女は、生活が貧困の水準にある妊婦を支援する制度による給付金を受ける資格があった。しかし、CICに立ち寄るまでは、そんな制度が存在することすら知らなかったのである。
このプロジェクトは3年計画だが、まだ初期段階にあり、クッパムのiコミュニティはちょうど1周年を祝ったばかりである(図1「クッパム・iコミュニティ・プロジェクトの4段階」を参照)。とはいえ、すでに大きな進展が見られており、また多くの教訓も得られている。