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非常時は社内コミュニケーションがカギとなる
2001年9月11日午前8時45分、オッペンハイマー・ファンドのCEO、ジョン・マーフィはロウアーマンハッタンのバッテリーパーク界隈をジョギングしていた。
彼は走りながら、前日発表した組織再編計画についてあれこれ思案していた。その時である。突然、世界貿易センター北棟の最上階あたりが爆発する光景が目に入ってきた。彼は立ち止まり、爆発現場から黒煙が吹き上がるのをただ眺めた。軌道を外れた小型飛行機がビルに衝突したものだろうと思ったが、それにしてはものすごい量の煙だった。
マーフィは、隣接する南棟にある自社オフィスの社員たちに思いをめぐらせ、南棟オフィスの賃貸契約を更新するのはもうやめようと思った。「1993年に爆弾事件があったと思ったら、今度は飛行機事故だ。いったい次に何が起こるか、わかったもんじゃない」。そして彼は、オフィスの方向へと走り出した。
ちょうど同時刻、ニューヨークから1600マイル離れたダラス。ここにアメリカン航空の本社がある。ティモシー・ドークはそこへの出勤途中だった。朝のラッシュアワーで渋滞する道路を走っていると、突然ポケットベルと携帯電話が同時に鳴り出した。
彼はアメリカン航空の広報担当バイス・プレジデントである。ドークはすぐさま携帯電話の呼び出し音に応じる一方、あわててポケベルをポケットから取り出した。悪い予感がした。
電話の主は、ボストン発のアメリカン航空機がハイジャックされたと言っている。これを聞いて、先の予感はいっそう強まった。ただちにドークは、自分のオフィスではなく、同社のクライシス・マネジメントの中枢を担う戦略指令センターに車を向けた。
再びニューヨーク。朝食会に向かっていたメアリー・ベス・バーディンは、マンハッタン中心地の渋滞をのろのろ運転で進むタクシーにいた、その窓から、澄みわたった青空にもうもうと立ち上る煙が見えた。その時彼女は「きっとダウンタウンで火事が起こったんだわ」と思った。
タクシーの運転手がラジオのスイッチを入れる。すると、世界貿易センターの一棟にジェット旅客機が激突したというニュースが流れてきた。これを聞いてバーディンは呆然とした。道路の流れが止まった。ベライゾン・コミュニケーションズの広報担当上級バイス・プレジデントであるバーディンは、すぐさまタクシーから降りて、6番街42丁目にあるベライゾンのオフィスに歩を急いだ。