「知る」ことよりも「身を処する」ことが難しい

山口 中国の歴史家、司馬遷に「知ることが難しいのではなくて、知っていることについて身を処するのが難しいのだ」(『史記列伝』)という言葉があります。「知る」ことと、それを「実践する」ことは難易度のレベルがまったく違います。MBA(経営学修士号)取得者は企業に大勢いますが、経営戦略のフレームワークを使いこなせている人は多くありません。

 戦略のフレームワークは、実際のビジネスに適したシチュエーションがなければ使うチャンスがないと思われがちですが、自身の人生を一つの事業として考えれば、旅行でもパーティでも就職活動でも、フレームワークを使って仮説を立て、検証することは可能です。

SHU YAMAGUCHI
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科修了。電通、ボストンコンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書、2017年)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。そのほか、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社、2019年)、『ビジネスの未来』(プレジデント社、2020年)、『武器になる哲学』(KADOKAWA、2023年)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(日経ビジネス人文庫、2024年)、『人生の経営戦略ーー自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社、2025年)など著書多数。

仁科 おっしゃる通りです。正論は、多くの人が知っています。しかし、その正論、特に自分がまだ知らない正論と向き合い、“異物”を飲み込むという行為、これは「アンラーニング」(脱学習、学び直し)といえると思いますが、そのアンラーニングの経験を積むことが非常に難しい。それができるかどうかで、人生経験の豊かさが変わってくると思います。

 一定の経験を積み、何かしらの「勝ちパターン」を持っている個人や組織こそ、意図的にアンラーニングしたり、失敗体験をつかみにいったりすることが重要なのではないでしょうか。

山口 アンラーニングするためには、自身のコンフォートゾーンから出て、アンコンフォータブル(不快)な状態に身を置かなくてはなりません。それに耐えるには、なぜその経験が必要なのかというロジックが見えている必要があります。

 たとえば、人生というプロジェクトにおける長期目標を「持続的なウェルビーイングの状態を築くこと」だとします。戦略とはつまるところ、「戦略的資源をいかに配分するか」であり、自分でコントロールできる戦略的資源は「時間資本」です。その時間資本を有意義に投資して「人的資本」を伸ばせば、信用や評価、人的ネットワークといった「社会資本」が増え、最終的に「金融資本」に転換されます。これら3つの資本が合わさることで「ウェルビーイング」な状態が実現します。

 では、人的資本はどのような時に伸びるのか。それはアウフヘーベン体験、つまり自身の過去の経験や知識を乗り越え、より高いレベルの新しいものを生み出せた時です。このロジックが理解できていれば、つらい状況でも粘ることができます。

仁科 逆に、ロジックが理解できていないと、「つらいから無理」と逃げてしまうことになりますね。

山口 人生には意味のある修羅場と、意味のない修羅場があります。戦略とロジックが見えていれば、意味のある修羅場に耐えることができますし、意味のない修羅場からすぐに逃げられます。

短期の不合理より長期の合理、「みっともない」ことに挑め

山口 戦略において特に重要なのが「長期目線」です。短期的な視点だと、20代で大手企業に入った人があっさり転職するのは、「腰が定まらずふらふらしている」ように見えるかもしれません。しかし、人生100年時代を見据えて、20代の時間資本をどう戦略的に配分するかという長期目線があれば、見え方はまったく違います。長期的に考えると、短期的に見ておかしな動きが合理的に説明できることがあります。

仁科 そこが、ポジショニングとして「おいしい」ところですよね。

山口 そうです。最も優れた戦略というのは、他の人からは不合理に見えるのに、自分には合理性が見えているというケースです。そこは、血みどろの競争がないブルーオーシャンだからです。短期的な視点で、しかも世の中で言われていることを鵜呑みにしている人たちは、レッドオーシャンでの競争を強いられます。

仁科 私が『人生の経営戦略』を読んで深く共感・内省したのは、「みっともないことをしているか」というフレーズでした。私自身もそうですし、チームメンバーも含めて、結局ここに尽きるのではないかと。

山口 ある程度成功したり、リーダー的なポジションに就いたりすると、人は「かっこよく」見られたい、あるいは「みっともないところは見せられない」という意識が強くなりがちです。だからこそ、意識的に「みっともない」ことをする必要がある。

仁科 先ほどロジックの話がありましたが、ロジックを裏付けとして持ちながら、「みっともなさ」にちゃんと向き合うことができるようになると、時間はかかりますが、組織や社会は変われると思います。

 私たちスタジオゼロは、産官学とのプロジェクトの中で、ある種の「みっともなさ」を突き付ける役割を担うことがあります。それはけっして相手に恥をかかせるためではなく、我々が客観的な事実や仮説を提示したうえで、一緒になって「みっともない」ことに取り組むためです。すると、周りの人たちが「彼らがこんなにも愚直に、自分たち以上に汗をかいているのだから、自分も汗をかかなければ」と感じるようになる。「みっともなさ」の牽引役のような立場を強く意識しています。