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強大なナルシシズムとマクロリーダーシップの害悪
編集部(以下色文字):いま企業を取り巻く環境は大きく変化しており、それがマネジャーの悩みを増幅させています。とりわけ社会のバランスが崩れている点について、教授はこの10年ほど警鐘を鳴らし続けています。どのような点について懸念を持っていますか。
ミンツバーグ(以下略):私は自著『私たちはどこまで資本主義に従うのか[注1]』をはじめ、いろいろな場で社会のバランスを取り戻すべきだと指摘し続けてきました。具体的には、政府などの「公共セクター」、企業などの「民間セクター」、NPOなどの「多元(プルーラル)セクター」の3つのバランスが崩れており、とりわけ民間セクターの暴走が顕著です。いまビジネスの世界では強大な自己愛(ナルシシズム)が生み出されており、その大きな原因は株式市場にあります。
株式市場はCEOばかりに注目しますし、四半期ごとの決算発表など、短期的な成果ばかりが求められます。それゆえ、革新や創造性を促進するどころか、とにかく早くアイデアを出し即座に商品化するといった安直な発想に偏ってしまうのです。結果として、マネジメントが著しく機能不全に陥っている、というのがいま世界的に起きている現象だと思います。
マネジメントの機能不全は、具体的にどのような形で表れているのでしょうか。
わかりやすい例を挙げましょう。マイクロマネジメントには誰もが反対します。一挙手一投足に口を出されていては、本来すべき仕事ができなくなるからです。ウォルマートにもケネディセンターにも口を挟まずにはいられないドナルド・トランプは、あらゆることを自分で管理しようとする究極のマイクロマネジャーといえるかもしれません。いずれにせよ有能な部下の活動を阻害するものとして、かねてから問題視されてきました。
その反対がマクロリーダーシップ、すなわち「数字で経営する」というスタイルで、大企業、とりわけ上場企業で顕著に見受けられます。常に「もっと利益を出せ」「もっと数字を伸ばせ」というプレッシャーにさらされているからです。
しかし、現場から離れ、数字だけを見て遠隔操作をするマクロリーダーシップは、はたしてマイクロマネジメントより優れているといえるのでしょうか。私からすれば、どちらも世の中に蔓延している不健康なもので、しかもマクロリーダーシップは実のところ、マイクロマネジメントよりもはるかに深刻な害悪をもたらすのです。
トヨタ自動車も、かつては世界最大の自動車メーカーを目指し、数字偏重の経営をしていた時期がありました。まさにマクロリーダーシップの典型です。しかし、品質管理問題をはじめ、さまざまな場所でその綻びが露わになり始め、最終的には創業家が経営を取り戻したわけです。
その点、一風変わったポジションにいるのがデンマークの企業です。たとえば、レゴグループやカールスバーグがそうですが、ファミリートラストなどの非営利財団が大株主として所有・経営することで、“25歳の株式アナリストに振り回されるような”事態を回避しているわけです。インドのタタ財閥も同様で、こうした仕組みは、株式市場の短期主義から企業を守る一つの方法だと思います。
私が信じているのは、リーダーシップというよりは「マネジメントのあり方」そのものです。そしてそれは、昔ながらのマネジメントだと考えています。下積みから昇進してきた人たちが、会社のことを深く理解し、企業文化を大切にしながら、誠実なやり方で経営していくというものです。そしてそれこそが、かつての日本の優れた企業の歴史そのものです。コミュニティシップ(共同体精神)が深く根づいており、カイゼンや社員を巻き込むあらゆる考え方がありました。

サイエンス偏重から脱却しマネジメント本来の姿を取り戻す
数字偏重、短期志向がマネジメント不全を引き起こしているわけですね。しかもそれはマイクロマネジメントよりよほどたちが悪いと。そんな中、現在のマネジャーに求められる真の仕事とは何でしょうか。