-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
同期の親しい友人からビジネスパートナーへ
編集部(以下色文字):日高さんは藤田晋さんと共同でサイバーエージェントを創業して以来、いまでは中核事業の一つとなったゲーム事業を立ち上げるなど、さまざまな側面から成長を支えてきました。藤田さんから起業を打診されたそうですが、共同創業に至るまでの経緯を教えてください。
日高(以下略):私と藤田は大学卒業後の1997年4月に入社したインテリジェンス(現パーソルキャリア)の同期で、内定者研修で同じグループになったことがきっかけで親しくなりました。一緒に飲みに行ったり、スノーボードに行ったりと、学生時代は友人として過ごし、藤田が東京、私は大阪に配属されてからは、時々電話やメールのやり取りをするくらいの付き合いでした。
その後、同じ年の12月に藤田から「自分で会社をつくろうと思っている」と電話があり、「それは残念だね」と返事をしたら、突然、「一緒にやらないか」と言われました。私は「やる」と即答し、直接会う約束を取りつけ、電話を切ったように記憶しています。本当に短いやり取りだけで終わりました。
迷いはありませんでしたか。また、即決したのは藤田さんの誘いだったからでしょうか。
迷いはありませんでした。当時は23歳で失うものもなく、それ以上に、人生の選択として面白そうだと感じました。藤田の誘いだったからなのかという点については、いま振り返ればですが、もし別の人に声をかけられていたら断っていたのかもしれません。
当時の思いとして、インテリジェンスに対して申し訳ないという気持ちはありました。藤田との大きな違いだったのですが、私は仕事でまったく成果を出せていませんでした。藤田は同期の中でもトップで、私はビリに近い営業成績です。そのため、給料だけもらって辞めることへの後ろめたさがありました。
藤田さんの著書[注1]には、インテリジェンスの宇野康秀社長(当時)に日高さんを連れていきたいと相談したら、怒られるどころか「それはいいけど……日高で大丈夫なのか?」と、心配されたエピソードが書かれていますね。
私は大学のために田舎から東京に出てきて、漠然といつか大きなことをやりたいと考えていたのですが、いざ社会人になるという時ですら、自分のキャリアについて真剣に考えていませんでした。何となく就職活動を行い、伝統的な大企業のカルチャーに苦手意識が芽生え始めていた頃、友人に勧められてインテリジェンスを受け、内定をもらえたので入社しました。
その時点では、野心に似たものがあったと思います。ただ、いまからすると未熟で、どのようなロジックで正当化していたのか自分でも説明できませんが、次第に会社や仕事の面白くない部分に目が行くようになり、怠けるための言い訳ばかりを考えていました。当然、成果が挙がることはありませんでした。
藤田さんによると、日高さんは起業に当たり「常に頭の隅に意識していた人物」で、「日高とのパートナーシップは上手くいく。それに日高も高い志を持ってインテリジェンスに入社し、もともとは非常に頭がきれる男です。環境を変えれば必ず頑張って復活してくれるはず[注2]」と期待していたそうです。営業成績は振るわない中、ご自身では何がパートナー選びの決め手になったと思いますか。
本の中ではほめてくれるのですが、そのような言葉を直接かけられたことはありませんよ。おそらく藤田としては、当初検討していたメンバーとの起業が仕切り直しとなり、とにかく早く会社を立ち上げたいという思いがあったのではないでしょうか。その点、私であればインテリジェンスが了承しやすかったのは確かです。
そのうえで、これはあくまで推測ですが、藤田は強い意志を持って独立し、会社を起こすと決めていたので、パートナーの能力や実績よりも自分と価値観の合う人間かどうかを重視していた可能性はありそうです。無駄のないコミュニケーションを取れることが大切だとすると、私は候補の一人といえるかもしれません。
実際、この会社を経営していく中で、藤田の進みたい方向を感覚的に理解できたという経験を何度もしてきました。また、仕事の成果はその人の能力より仕事に対するコミットメントに左右されることも事実だと思います。
藤田さんと直接会った時、どのような話をされたのですか。
電話を受けた週の週末に東京に行き、そこで初めて事業のコンセプトを聞きました。自分たちにできるのは営業だから、技術を持つ企業の製品を売り、会社を大きくしていきたい。大雑把に言うと、藤田はインターネット業界における代理店モデルを描いていました。
その時、事業計画は漠然としていた中でも、藤田がとにかく会社を大きくしてパブリックな存在にしたいと考えていたこと、そして、かなりの速度で目標の達成を目指していたことには驚きました。私は何となく翌年の4月に起業するのかなと思い、「いつ辞めるのか」と聞かれて「これから引き継ぎがある」と説明を始めたら「辞めると決めたのなら早くしないと」と促され、藤田が求めているスピード感はこれかと理解できました。
それから、私もすぐに会社を辞めて、1998年の2月には東京に引っ越し、3月18日にサイバーエージェントを創業しました。
オフィスに入居した日の夜、藤田さんから「会社の中では社長と呼んでくれ」と伝えられ、日高さんが「わかりました。藤田社長」と答えたエピソード[注3]は印象的でした。両者の関係性が、気心の知れた友人からビジネスパートナーに変わったことを示す象徴的な出来事ですが、当時の心境を教えてください。
当時のやり取りは記憶にないのですが、起業することが決まってから、そのような話がいつ出てもおかしくない空気感はありました。
藤田を社長と呼ぶことについて、わだかまりなどはいっさいありませんでした。藤田が単に上下関係をつけたがるような人間であれば抵抗感を抱いたかもしれませんが、そういうタイプではありません。サイバーエージェントをパブリックな存在にするという決意から来るものだからこそ、すんなりと受け入れたのだと思います。これから目指そうとしているものの大きさと、絶対に実現するという真剣度は、最初から伝わっていました。
この件に限らず、創業以来、会社では馴れ合うようなコミュニケーションを取らないよう気をつけていました。それをやってしまうと、パブリックな会社にできないと感じていたからです。仕事の相談はすべて役員会で行うと決め、実際にそうやってきました。
第三者からすると非常にインパクトの大きな出来事でも、日高さんはそれほど詳しく覚えていないのですね。
なぜですかね。いまのこと、これからのことに目を向けたいという気持ちが強いのもありますが、昔話をすることへの恐怖心を持っているからかもしれません。昔の話をすることにより、サイバーエージェントの社員に、私と藤田の間で特別な関係が築かれていると思われて、壁ができてしまうのを避けたいのです。まるで2人の会社であるかのように捉えられ、成長の妨げになることが怖いというのは正直なところです。
経営者の価値観をつかみ、組織文化を進化させる
起業してからの役割について、藤田さんと日高さんの間で分担は決めていましたか。
それについて、藤田と話をしたことはありません。前提として、会社の大きな方向性は藤田が決め、その方向性の中で、自分は会社を大きくするためにどのような役割を担えるかを常に考え、動いてきました。
藤田が大きな決断、たとえばサクセッションのように重大な話も流れの中でさっと下し、それを聞いた経営陣がいっせいに動き出すのは、この会社の特徴です。いまでこそ、そう決断した理由まで伝えるようになりましたが、以前は説明も最小限で、特に新しい幹部の中には戸惑う人もいたので、別の機会に、私が自分の言葉でできうる限りの説明を行うといったことはありました。
さすがに私以外の役員ももう慣れたとはいえ、あまりに大きな話が流れの中で出てくるため、受け取る側からすると唐突だと思うことはあります。ただし、藤田が外部の状況、また役員会や社内の雰囲気も確認しながら、適切なタイミングを見極めて伝えていることも理解しています。だからこそ、自分の役割として、たとえ簡単には実現できないことだとしても、経営チームとしてどのように実行するか、組織の文化をどう進化させたら成長を加速できるかを考えるようにしてきました。
藤田さんが、社員は「悩みがあると私ではなく、日高のところに相談しに行く[注4]」と言うように、日高さんならではの役割を自然と担ってきたという側面もありそうです。
意識はしていませんでしたが、たしかによく社員の相談に乗ってきました。創業当初は特に、先行きの見えないベンチャー企業で働く若い社員の精神的な支えになろうとしていたように思います。いまも直接話すことは大切にしていて、一時期と比べると減ったものの、会食の機会の7割以上は社員とのコミュニケーションに割いています。その時々で、「この人たちと話ができるとよい」と思う人やチームに声をかけるよう心がけています。
藤田もよく言うことですが、サイバーエージェントにとっては人材への投資が最も重要で、それが成長の源泉です。会社の意図を理解してもらいながら、社員のやる気を引き出し、彼らが自分の頭で考え、それぞれの市場で勝つことができれば、この会社はもっと大きくなれます。そのように動き、パフォーマンスをさらに上げてもらうためには、組織のコンセプトを社内コラムのような形で広く発信することに加え、社員一人ひとりと直接話し、その時点での疑問にストレートに答えることが効果的です。
ベンチャー企業は、創業の勢いや時流で数年間は拡大を続けることができても、それより先には事業や組織の壁があり、短期的な勢いだけでは乗り越えられないものにぶつかります。その時、会社のビジョンを感覚的に理解して目の前の仕事にコミットしてもらうことで、パフォーマンスが大きく上がり、壁を突破できるようになると考えています。
会社のビジョンを言葉で伝え続けることは大切で、それが組織文化の土台になることは間違いありません。ただ、単独で伝えるよりも「いまの状況なら、こう考えたらどうか」と具体的に説明したほうが、自律的に実装してもらえると思います。特にリーダー層から順に話をしていくことで、組織全体のパフォーマンスが上がるのではないでしょうか。
藤田さんの決断に納得できず、対立した経験はありますか。
よく聞かれるのですが、本当にありません。会社の最終決定は、藤田がトップとしての責任感を持って下してくれるという安心感を抱いているので、役員会の場でサイバーエージェントに関する議論をしたり、業界の動向に関する情報交換をしたりすることはありますが、そもそも自分の中に「対立する」という選択肢がありません。会社のことについて、創業社長の藤田以上に広く深く考えている人間はいませんから、議論するよりもやってみたほうが早いと考えています。
サイバーエージェントの場合、事業にせよ制度にせよ、独自の挑戦も多く、議論して事前に詰められることには限界があります。そこで「ディテールはどうしますか。この場合はどう対処すればよいですか」などと言い出したら、会社が動きません。藤田のイメージが具体的ならそのまま形にして、結果を見ながら修正していきますし、構想が抽象的であれば、その時の組織に合う形を模索して具体化します。
サイバーエージェントはいまでこそ組織力を備えていますが、組織としても経営陣としても経験値が乏しかった頃は、藤田の目指す会社のあるべき姿とのギャップが大きく、そのようなやり方に難しさを感じたこともあります。ただ、外から見ると重大なことがさっと決まり、すぐに動けるのがこの会社のよさでもありますから、藤田の決断をまずは形にして、その先は行動しながら考えてきました。
最初に方向性を決めて、考えながら動かすことで、事業を大きく成長させられた経験も支えになっています。たとえば、ゲーム事業を始めた時、「モバイルのB2C向けビジネスを展開する」ことだけしか決まっていませんでしたが、そこから中核事業にまで成長できたのは、議論を重ねて細部を詰めることに力を注ごうとせずに、組織と市場に目を配りながら方針を練ってきたからだと思います。
藤田は物事の大小にとらわれず、規模が大きくても会社の方向性から外れてさえいなければ、自分の知らないところで話が進むことを気にしません。反対に、規模が小さくても違和感があれば必ず指摘します。
藤田さんの判断がぶれていると感じたことはありませんか。
それはまったくありません。事業や組織の運営がうまくいかなかったことはありますが、創業以来、藤田の判断や会社の方向性にぶれを感じることはありませんでした。
たとえば、私は創業の翌年、サイバーエージェントが出資したネットプライスというeコマースの会社に出向し、2002年に専務取締役として戻ってきたのですが、その頃の役員会はギスギスしたものでした。大手の広告代理店やコンサルティングファームなど、外部から若くて優秀な人材が入社した頃です。
サイバーエージェントは2000年に上場したものの、直後に経験したインターネットバブル崩壊の影響は大きく、その時点で株主の期待に見合う業績ではありませんでした。藤田のところには、誹謗中傷に近い言葉も届いていたと思います。そのような状況下で経営陣にも焦りがあったのか、また、当時は実力主義を謳っていたこともあったのか、会議の場では役員同士が激しい言葉で言い合いをする場面も見られました。
私自身は、現場の若い人たちが困惑している様子を見聞きしていたこともあり、組織の一体感という、自分が知るサイバーエージェントの特徴とは少し違うのではないかと感じました。ただ同時に、会社がこれから大きくなるために、「外から優秀な人を招いて幹部にすることで、組織を強くする」という藤田の考えも理解できました。彼らが優秀であることは確かで、自分たちが学んできたやり方をどうにかして伝播させようと必死だったのもわかりました。
当時は組織の成長過程にあり、結果として、人材の多様性をうまく活かすことはできなかったのですが、あれは会社を大きく育てるために必要なプロセスだったと思います。その後、会社が成長するにつれ、多様性を受け入れながら組織を強くしていく体制を構築できるようになりました。また、この時の経験は最終的に、新卒をはじめとする若い社員を大事に育てて、「長く働くことを奨励する会社になる」という方針へとつながりました。そのような人たちが活躍してくれるようになり、いまでは要職に就いています。
あの時期がなければ、サイバーエージェントは馴れ合う会社になっていた可能性もあると思います。会社をパブリックなものにするという目標を捨てずに、難しい時期を経たからこそ、とても強い組織になれました。
サイバーエージェントの共同創業者であり、副社長を務めるナンバー2として、経営者のそばで活躍したいと考える人たちに向けて、どのようなアドバイスを贈りますか。
前提として、サイバーエージェントは藤田という創業者兼社長が経営を担ってきた会社で、かなり特殊な環境です。また、私は経営者が責任を持って方針を示し、最も重要な決断を下すことが健全だと考えているのですが、この点は組織に応じて異なるかもしれません。
それらを踏まえたうえで、経営者の価値観を共有できていることは、非常にシンプルですがとても重要ではないでしょうか。経営者の近くにいる人ほど、組織のトップをしっかりと洞察し、その価値観を感覚でつかむ必要があります。そこのレベルでのすれ違いは、事業がうまくいっている時は気にならなくても、事業が停滞し、組織の状態が悪くなり始めると、決定的な亀裂を生むことになるからです。CEOとCOOが揉めて経営陣が空中分解したり、副社長がクーデターを起こしたりという話を聞くことも珍しくありませんが、それでは一緒に乗っている船をみずから壊しにいくようなものです。
経営者がどのようなビジョンを描き、どう考え、何を実現したいのか。組織の大小は関係なく、そこを感覚のレベルまで落とし込む必要があるのではないでしょうか。
経営者の価値観と、それに基づく組織の方向性を理解することに加えて、その実現を加速させる経営チームと文化をつくることも同じくらい大切だと思います。もちろん、簡単なことではありません。サイバーエージェントは若手が活躍し、事業がどんどん立ち上がる文化をほめてもらう機会も多いのですが、新卒採用は創業の年から続けていますし、新規事業を創造する「あした会議」も20年近く前から実施しています。また、現在の文化は目に見える取り組みだけでなく、さまざまな要素が絡み合って生まれたものです。
会社はこれからどこへ向かうのか。そのためにどのような文化が必要なのか。それらを理解し、新たな挑戦に応じて文化をつくり変えていくことは、経営者のそばにいる人にとって重要な仕事だと考えています。
会社の成長を妨げる存在にはなりたくない
日高さんの著書[注5]を読むと、社員一人ひとりをとてもよく見ていると思いました。同時に、特定の人物にのめり込むことはなく、ある意味で冷めた印象も受けています。
社員との距離感はとても大事にしてきました。そこを間違えると、さまざまな弊害が生まれ、サイバーエージェントの成長の妨げになるからです。自分たちの頭で考え、努力し、成果を挙げてほしいと思っている中で、私との距離が近すぎて受け身になれば、そのような機会を潰しかねません。
ある期間に仕事をする機会が増えて、特定の人物とのコミュニケーションが密になることはあります。また、意図的に関係を悪くする必要もないと思います。ただし、社員と仲よくなることが目的ではありません。会社がどうすれば大きくなるか、そのための組織文化をどのようにつくっていくかを考え、コミュニケーションを取るようにしています。
藤田さんは過去に「すべて計算したうえでの発言[注6]」と断言されていましたが、日高さんにも似たような考え方を感じます。
そうですね。藤田ほど割り切れてはいませんが、近いところはあるかもしれません。
私自身の特性として、一生懸命働いている人や頑張っているチームを見るとどうしても応援したくなり、距離を詰めすぎる傾向があるのを自覚しています。そして、自分がそのような行動を取った時、会社の目指すべきところと矛盾するリスクがあることもわかっているので、社員との付き合い方は意識するようにしてきました。とはいえ、組織の価値観に基づく判断や行動をすることについては、もう自然にやれています。
創業以来、自分の存在が会社の成長を阻害するボトルネックになってはいけないという緊張感を持ち続けてきました。最初からここにいるという理由だけで、大したパフォーマンスも出さずに居座るのは、サイバーエージェントにとって正しい姿ではありません。
組織のナンバー1になりたいという気持ちを持ったことはありませんでしたか。
これまでにも「社長になりたいと思わないか」と聞かれたことはありますが、サイバーエージェントを立ち上げた時から、そのような意識を持ったことはありません。そもそも社長の下に序列があるとは考えていないので、ナンバー2と言われることにすら抵抗があります。ここでいうナンバー2は会社を大きくするためのサポート役だと定義すると、トップの判断を私一人の力でスケールさせるのは不可能ですから、藤田の描くビジョンの受け皿として足る経営チームにすることと、会社の文化をつくることに腐心してきました。
藤田さんは2025年12月で社長を退き、会長になりました。組織体制の変更を受けて、日高さんはどうされるのでしょうか。
自分だけで決められるものでもなく、いますぐに何かするということはありません。藤田が話している通り、今回のサクセッションはゼロからのスタートなので、次期の経営体制をどうつくるべきかを見据えながら、じっくりと考えていくつもりです。藤田は「4年後に80%を引き継ぐ」と言っているため、そこは一つの目安になるかもしれません。
この話が出てからの数年間、サイバーエージェントらしいサクセッションとは何か、持続的な成長を遂げる会社になるために何をすべきかと、組織のあり方から研修の具体的な内容まで、役員会ではもちろん、それ以外にも多くの時間を割いて話し合ってきました。これから一定の期間を設けてしっかりと2代目に引き継ぎ、その次の世代、さらにその次の世代へとつなげられるような文化を一緒につくっていくことになります。
よいとされてきたものは引き継ぎ、進化させていくために、自分がどのような役割を担うべきか。そこはこれから考え、サイバーエージェントが21世紀を代表する会社になるために必要なことは何でもやるつもりです。
【注】
1)藤田晋『渋谷ではたらく社長の告白』アメーバブックス、2005年。新装版は幻冬舎、2017年。
2)1)と同じ。
3)1)と同じ。
4)「藤田晋社長太鼓判!CA“心のオアシス”の聞く技術」『日経ビジネス』2018年5月16日。
5)日高裕介『組織の毒薬 サイバーエージェント副社長の社員にあてたコラム』幻冬舎、2017年。
6)藤田晋「人材が先、事業は後」DHBR2015年12月号。
(C)2026 Diamond, Inc.
PHOTOGRAPHER AIKO SUZUKI
日高 裕介(ひだか・ゆうすけ)
1974年、宮崎県生まれ。1997年に慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、インテリジェンス(現パーソルキャリア)入社。1998年、藤田晋氏とともにサイバーエージェントを設立。2010年より現職。著書に『組織の毒薬 サイバーエージェント副社長の社員にあてたコラム』(幻冬舎、2017年)がある。




