同期の親しい友人からビジネスパートナーへ

編集部(以下色文字):日高さんは藤田晋さんと共同でサイバーエージェントを創業して以来、いまでは中核事業の一つとなったゲーム事業を立ち上げるなど、さまざまな側面から成長を支えてきました。藤田さんから起業を打診されたそうですが、共同創業に至るまでの経緯を教えてください。

日高(以下略):私と藤田は大学卒業後の1997年4月に入社したインテリジェンス(現パーソルキャリア)の同期で、内定者研修で同じグループになったことがきっかけで親しくなりました。一緒に飲みに行ったり、スノーボードに行ったりと、学生時代は友人として過ごし、藤田が東京、私は大阪に配属されてからは、時々電話やメールのやり取りをするくらいの付き合いでした。

 その後、同じ年の12月に藤田から「自分で会社をつくろうと思っている」と電話があり、「それは残念だね」と返事をしたら、突然、「一緒にやらないか」と言われました。私は「やる」と即答し、直接会う約束を取りつけ、電話を切ったように記憶しています。本当に短いやり取りだけで終わりました。

 迷いはありませんでしたか。また、即決したのは藤田さんの誘いだったからでしょうか。

 迷いはありませんでした。当時は23歳で失うものもなく、それ以上に、人生の選択として面白そうだと感じました。藤田の誘いだったからなのかという点については、いま振り返ればですが、もし別の人に声をかけられていたら断っていたのかもしれません。

 当時の思いとして、インテリジェンスに対して申し訳ないという気持ちはありました。藤田との大きな違いだったのですが、私は仕事でまったく成果を出せていませんでした。藤田は同期の中でもトップで、私はビリに近い営業成績です。そのため、給料だけもらって辞めることへの後ろめたさがありました。

 藤田さんの著書[注1]には、インテリジェンスの宇野康秀社長(当時)に日高さんを連れていきたいと相談したら、怒られるどころか「それはいいけど……日高で大丈夫なのか?」と、心配されたエピソードが書かれていますね。

 私は大学のために田舎から東京に出てきて、漠然といつか大きなことをやりたいと考えていたのですが、いざ社会人になるという時ですら、自分のキャリアについて真剣に考えていませんでした。何となく就職活動を行い、伝統的な大企業のカルチャーに苦手意識が芽生え始めていた頃、友人に勧められてインテリジェンスを受け、内定をもらえたので入社しました。

 その時点では、野心に似たものがあったと思います。ただ、いまからすると未熟で、どのようなロジックで正当化していたのか自分でも説明できませんが、次第に会社や仕事の面白くない部分に目が行くようになり、怠けるための言い訳ばかりを考えていました。当然、成果が挙がることはありませんでした。