-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
直観とは、準備と経験から導かれる高度なパターン認識
伝統的な経済学において、人間は「合理的な選択」(rational choice)を行う主体、すなわちホモ・エコノミクス(経済人)として規定され、すべての選択肢についてコストとベネフィットを比較し、期待効用を最大化するように矛盾なく行動を決定するモデルが前提とされてきた。しかし実際のビジネスにおける意思決定、とりわけ極限の重圧下や予測不能な市場においては、合理的な計算を実行する十分な時間も情報もない。そうした意思決定に際して、私たちの脳内ではいったいどのような情報処理や計算が行われているのだろうか。
これは、神経経済学(neuroscience)にとって非常に難しい問いである。残念ながら、決定的な解を与えられるまでに進歩していない、ともいえる。ただし、一回限りの天才的かつ偶発的なひらめきであり再現性の乏しい「直感」を科学の俎上に載せるのが困難であることに比べると、「直観」が徹底的な準備と経験から導き出される高度なパターン認識であると定義するならば、後者がどのようなものかを解釈できる余地はある。そこで、本稿では不完全ながらもこれまでの脳活動の測定や心理実験の結果を引きながら、直観の構造をひも解くヒントを提示していきたい。
本論に入る前に、神経経済学の概要を紹介しておく。別名「意思決定の神経科学」(decision neuroscience)と呼ばれ、神経科学や心理学、経済学、AI・機械学習の知見を取り入れながら発展してきた。1990年代終盤から盛んになり、2000年代中盤には『サイエンス』『ネイチャー』に毎週のように論文が掲載されるなど注目のフィールドとなり、現在では神経科学において有力な一分野を成している。目下、脳内プロセスを解き明かす基礎研究から、社会現象との相互作用を探る応用研究まで幅広く展開されている。
さて、そのような神経経済学の視座から「直観的な意思決定」のメカニズムをどのようにひも解けるのか、という本題に入ろう。
まず、「直観」が主観的ながらも一定の根拠に基づくパターン認識によって判断や選択がなされることだとすると、そのプロセスや構造については、かなり古くから興味を持たれてきた研究テーマである。有名なところでは、心理学者でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの二重過程理論(dual-process theory)がある。これは『ファスト&スロー[注1]』という彼の著書を通じて一般にも広まったため、ご存じの読者も多いだろう。要約すると、脳には異なる2つのシステムがあり、ややいい加減であってもエネルギーをあまり要さず速い思考で結論を導き出す「システム1」と、論理的で正確だがコストがかかり遅い思考である「システム2」とを使い分けているという、割と大ぐくりでコンセプチュアルな理論である。カーネマンらの貢献により、人間は常に合理的な選択を下すホモ・エコノミクスではなく、認知バイアスや感情に影響される存在であることの認識も広がったといえるだろう。
目的指向と習慣は強化学習にも存在する
関連する研究はさまざまな分野で進んできた。たとえば動物心理学では、行動には報酬などの目的を目指して逆算して動く「目的指向行動」(goal-directed behavior)と、反復することで自動化されて動くようになる「習慣行動」(habitual behavior)の2種があり、目的指向行動が繰り返されると、ある時点で習慣行動に移行することがわかっている。この目的指向行動と習慣行動が、先の二重過程理論のシステム2とシステム1にそれぞれ対応している可能性がある。少なくとも、脳が「2つの異なるアプローチ」を働かせているという点に共通項がある。
目的指向行動と習慣行動の関係性は次のような動物実験で証明された。レバーを押すとエサが出る仕組みのある飼育箱にネズミを入れると、当初はエサを得る「目的」のためにレバーを押す。それを何度もトレーニングさせると、繰り返しているうちに、エサを得る目的はさておきレバーを見ると押すという「習慣」に移行していく。その後、レバーを押さなくても同じエサが自由に食べられるように置いてある飼育箱にネズミを移す。そしてネズミをレバーのある飼育箱に戻すと、すでに満腹になっていても、習慣化しているためにレバーを押してしまうのである。
この場合の目的指向行動は必ずしも合理的な選択ではなく、あくまで目的を踏まえて計画的に行動することを指す。目的指向行動は時間がかかっても報酬の価値に応じて柔軟に対応できる一方、習慣化した行動は素早く実行できるものの環境変化に対応するような柔軟性は低い。たとえば、長年通勤しているオフィスに向かう際、私たちは、どこで乗り換えて何番線の電車に乗るということを論理的に考えなくとも、習慣化されているために無意識のうちに選択してたどり着くことができる。このように、習慣行動は計画資源をあまり要さないものの柔軟性には欠ける。一方で、目的指向行動の場合は柔軟性が高く、オフィスが移転したとなれば、頭の中に路線図を思い浮かべて新オフィスまで計画的に向かおうとすることができる。
これら目的指向と習慣では、脳内の別の領域が働くことがわかっている。特定の脳領域を薬理学的に不活性化させる実験を行うと、目的指向を司る領域を止められたネズミは習慣のみで動き、逆に習慣を司る領域を止められたネズミは何度訓練しても頭を使いながらレバーを押すようになる。そして、似たような仕組みは人間の脳にもあることが明らかになってきている。人間であれば、目的指向行動では前頭前野、特に背外側部が働くのに対し、習慣行動はもう少し脳内の深部にある大脳基底核が働いている(図表「脳の構造」を参照)。




