太平洋戦争敗北に至る日本の迷走の大きな原因の一つとして、陸軍の専横が挙げられることが多い。その原動力となったのが、石原莞爾をはじめとする中堅エリート将校たちである。

彼らは、第1次世界大戦のような総力戦に備えるために、産業、資源、金融だけでなく教育、文化、思想まで含めた国家総動員体制の構築が急務と考えた。軍事プロフェッショナルであったからこそ、その思いは峻烈であった。彼らの過ちは、国政全般から見れば一部分にすぎない軍事の合理性をすべてに優先させようとしたことにある。

さらに陸軍の組織的な欠陥も問題を増幅させた。上層部は、彼らをコントロールする意思と能力に欠けており、満洲事変に象徴的に見られるように、結果がよければ手段・方法の是非を問わないという姿勢が、政治介入をいっそう進める結果となった。軍事テクノクラートの独善ともいうべき、昭和期陸軍の病理を分析する。