昭和14年(1939)夏、満蒙国境線をめぐって発生したノモンハン事件は、日本軍の組織特性や欠陥が浮き彫りとなった「失敗の序曲」とでも言うべき武力衝突だった。戦後、さまざまな視点から研究されてきたこの事件の真相は、ソ連軍の損害がクレムリンの奥深く封印され薮のなかにあったが、ソ連崩壊後、機密文書が公開されたことで、戦略、作戦・戦闘に関する事実認識は変更を迫られた。

日本軍は事件前夜、せっかく入手した貴重な生情報(インフォメーション)を情報(インテリジェンス)に転換する情報業務の基本を踏まず、この事件を単なる国境紛争と位置づけた。時の首相、平沼騏一郎が独ソ不可侵条約締結を「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」と言って総辞職したのも、トップに的確な情報が届けられなかったからである。

ノモンハン事件は、まさしく「情報敗戦」であった。日本軍の戦略・戦術を組織論的視点から論じた『失敗の本質』の著者の一人が、ノモンハン事件における日本軍の失敗を再検証する。