仕事をしていていつも思うのが、「情報を出した後に情報が集まる」という現象についてです。編集という作業は多くの情報をインプットして加工し、アウトプットする。なのに本来、アウトプットの前にほしかった情報が、出した後に手に入る。なんとも皮肉な現象であり、得てして究極の情報収集は、自ら情報を出すことなんと痛感します。「求めよ、さらば与えられん」そのものです。
昨年の2月号でビッグデータの特集をしましたが、多くの反響を頂きました。その時、多くのデータを集めることに競争優位はなくなり、これからはアナリティクスの競争になると思いました。今号の特集はアナリティクスですが、このような思いがベースとなっています。
今回の取材では、多くの方と議論する機会がありました。そのような場で私がいつも聞いた質問が、「自分の直感とデータが異なるとき、どのように判断されますか」というものです。
データの分析から我々は多くの「ファクト」を手に入れることができます。それらはもともと想像もしていなかったファクトなのか、それとも、直感的に、あるいは皮膚感覚で想定していたファクトなのか。皮膚感覚で想定していたファクトであれば、データで裏付けられたことにより、我々は自信をもってそのファクトに従う意思決定を下すことができます。しかし、思いもよらなかったファクトがデータから示されたとき、それを受け入れることができるでしょうか。
仮に、AとBという2つのお菓子があったとします。どう考えてもAの方が美味しいのに、販売データはBが売れる。価格も同じで陳列されている位置の優越も変わらない。このような状況で、データに従ってAを売らないことにして、Bを売ることに専念して売上げアップを目指すという意思決定することができるかという問題です。つまりデータが示すファクトの背景がまったくわからない状況です。
あるデータ分析の専門家は、「物事には理由が分からなくてもいい場合もある」と仰いました。再現性を求めず、その一度の機会の最適化を図る課題の場合、確かに「なぜそうなったか」は必要なくデータに従うのが正解かもしれません。
しかし、経営はトライ&エラーの継続的な改善プロセスを回すことです。一回一回のトライアルから再現性のある、あるいは精度の高い施策を見つけるプロセスであり、上記のようなシチュエーションはほとんど考えられません。
自分の仕事でもこのような状況は多々あります。売れると思った特集が売れず、さほどと思った特集が意外と売れる。ましては「なぜ、この特集が売れたのか」が分からない場合は、売れたことを素直に喜べないことがあります。
今回の特集では、セブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文さんにインタビューさせていただきました。鈴木さんにも同じ質問をぶつけてみたところ、「自分の仮説のどこが違ったのか、再度考え直します」ときっぱりと仰いました。日本で最もデータ活用が進んでいると思われるセブンイレブンの経営者でありながら、データの力以上に、ご自身の仮説構築力にこだわり、またそれを絶えず鍛え続けている姿に圧倒されました。
またある経営者はデータから得られた結果に従わないことがあると言い、その例として「それが自社のやりたいこと、自社のやるべきことだと思わない時」と仰いました。データから出てきた需要よりも、自らの経営の意思を優先するという考えに、より永続性を感じました。
今後多くのデータが手に入り、アナリティクスの技術も向上することで、より多くの分析結果を得られます。その際問われるのは、アナリティクスから得られたファクトをどのように活用するかを判断する力でしょう。技術の進歩で経営を助けるツールが格段に増えました。しかし、それでも経営の力は行く着くところ意思決定する力に代わりないようです。(編集長・岩佐文夫)