私は、超高齢化社会の長くなった人生を賢く生きるために、28歳、42歳、65歳の、3つの節目で人生をリセットすべきだと考えています。その節目でキャリア・チェンジや能力のステップ・アップのできる「キャリア・システム・デザイン」をする必要があります。実際、東大EMPは、この中の42歳をターゲットに置いてこれまで身につけた能力の棚卸とステップ・アップを目指して創設したマネジメント・スクールなんです。教養を目的にしているのではなく、結果として教養が身につくのです。

――28歳、42歳、65歳という3つの節目の各年齢にはどういう意味があるのでしょうか。

 まず28歳。いまは18歳から20歳くらいで自分のキャリアを選択するシステムになっていますが、そのような年頃の若者は自分の人生がどうなっていくかなど、わかっていない。私自身、アメリカでヒッピーをやっていた20代後半に、70代の自分がこんな風になるなんて思ってもみませんでしたよ。

――20代にヒッピーをやっていたんですか?

 はい。日本で東京大学の建築学科を卒業して前川國男建築設計事務所に入ったけれども、建築に限界を感じて、もっと大きなものをデザインしたいと思い、ハーバード大学大学院のアーバン・デザイン学科に入ったという話は、前にしましたね。

 1972年にそこを卒業して、そのままニューヨークで都市デザイン事務所や建築事務所で仕事を探そうとしたのですが、そう簡単に就職先などありませんでした。1974年にはニューヨークの建築家の4人に3人が失業するというひどい状況になったのですが、当時、すでに不動産不況が始まりかかっていました。

 仕方ないので、ニューヨークの友人を頼ってアーティストであった彼のアパートに居候させてもらいながら、職探しをしていたんです。そこが、ヒッピー・アパートだったというわけです。ヒッピーの暮らし、ヒッピーとの交流、まあ、日本にいたのでは絶対にできなかった体験をしました。若かったから、無茶できたんでしょうかね。

――その経験が、人生3回リセットのすすめにつながっていくんですか。

 20代の初めに自分の分野をよくわからないままなんとなく選び、先をあまり考えないで、時には若気の至りで無茶をしながら20代を過ごしていると、30歳を目前にして、ふと、このままでいいのかなと思う瞬間が誰にもあるんじゃないでしょうか。自分の選んだ分野が結局、好きになれなかったり、間違ったのかなと思い、方向転換するのなら30歳前にやっておきたいと思うようになる。

 そう思ったら、その時にリセットできるようにすればいいんじゃないでしょうか。

 20代から、1つの組織で一生穏やかに働こうと思っていても40年で終わりです。実際は社会保障を支えるためにも、自分の体力からいっても、もう15年、すなわち、60年働かないといけない時代です。結局、転職をすることになります。1つのところに長年安住してくると、50を過ぎて転職したい、しなければいけないのに、どうしたらいいのかわからない、勇気出せないということになりがちです。

――20代で無茶していないと、40、50になっても、60になっても無茶できないですよね。

 だから、20代には無茶も含めていろいろな経験をして、28歳でリセットすればいいんです。

 やんちゃしていようが、派遣社員だろうが、フリーターだろうが、あるいは「自分探し」の旅をやっていようが、28歳くらいでリセットして新しい人生を踏み出すことができるような社会の仕組みが必要でしょう。