人との出会い、これだけはデザイン不可能です。ほとんどの人の人生は、偶然でしかない、人との出会いで変化していきます。

――出会った人によって転機が訪れるわけですね。

 ただし、出会いは偶然であっても、出会った後のことは、自分である程度組み立てていけます。

 私は、「GDHDパーティ」を医療におけるTR(トランスレーショナル・リサーチ)を目的とした健康医療開発機構で企画し主催してきました。TRとはつまるところ、人の出会いが大事です。GDHDというのは、「G=Guzenno:偶然の」「D=Deaiwa:出会いは」「H=Hitsuzenno:必然の」「D=Dea i:出会い」の意味で、言ってみれば人生に転機をもたらすことを目的とするパーティです。GVHD (Graft vs. Host Disease)という、臓器移植にからむ厄介な病気がありますが、そのもじりです。

 そのパーティでの偶然の出会いを、必然の出会いにしていく。後から振り返れば必然だったと思えるように、組み立てていってほしいと思い、場を提供しています。人生というダイナミック・システムでの重要な要素である偶然の出会いを必然に変えるのが、まさにデザインということなのです。

違和感と常識の関係

――横山さんはMITスローン・スクールで人生リセットして、その後経営コンサルタントへの道を選ばれましたね。

 ハーバード・デザイン・スクールにいる時、忙しくてたまらないからちょっと手伝ってくれと建築の友人が言ってきたので、帰国して、友達の建築事務所でアルバイトをしました。表参道の裏手にある、“いかにも”という感じの事務所でした。世は列島改造ブームで若い建築家でも事務所を構えることができた。アメリカの建築家の厳しい状況を見ていた私にとっては違和感しかなかった。

 ある日、昼食を取ろうと、レストランに入るとテーブル席が満席だというので、友達とカウンターに座りました。カウンターからはテーブル席が一望できて、ぼんやり眺めていたら、客がみんな建築家だっていうことがわかってハッとしたんです。

 なぜ建築家とわかるかというと、みな当時はやっていた、「月光荘」というスケッチブックを持っているのです。

 そして次の瞬間、本当に気分が悪くなって吐きそうになった。みんな、同じように幸せそうな顔をしている。なんだ、この満足げなとろーんとした目は、と。

 その時、私は、どこか、何かが違う。この人たちと一緒に歳を取りたくない。絶対にこの建築という世界から抜け出したいと強く思ったんです。いまでも、そのレストランのシーンはありありと目に浮かびます。

――その違和感はどこからきたのでしょうか。

 違和感があるということは、裏返せば、世間の常識がないということです。

 常識のある人は、世の中のさまざまな出来事や物事に対して、これが普通のことだと判断できる価値観を持っていて、その価値観に基づいて判断すると、おおかたのことには違和感なく、これは客観的に見て当たり前と思うところで思考が完結し、心も穏やかでいられます。

 しかし、私はそういう常識が希薄なのでしょう。常識を疑うとか、そんなかっこいいことではなく、私はどこにいてもアウトサイダーだったような気がします。

 それを説明するには、子どもの頃に遡らないと、うまく説明できませんね。

――ぜひ聞かせてください。