能動的予防と命のマネジメント
時代に合った新たな医療システムをデザインする必要があるのですが、その中核になる仕組みが必要です。私の考えでは、少なくとも、人口の1割くらいの人が、「賢い患者」になればよいのだと思います。
――「賢い患者」というのは、どういうことでしょうか。
「先生よろしくお願いします」といってすべてをお医者さん任せにする受動的な患者ではなく、また、「貴方が医者に会うときはすでに患者であった」ということではなく、日頃から現在の病気と、将来なるかもしれない病気を、能動的かつ積極的にマネージする意思を持った患者という意味です。いわば、自分の命のあり方を自分で決める、というくらいの覚悟をもつことです。
たとえば、がんになった時どうするか。日本人が生涯のうちにがんに罹る可能性は、男性の2人に1人、女性の3人に1人と推測されていますから、もはや誰にとってもごく身近な病気です。
がんにもいろいろありますが、たとえば喉頭がんでは、声帯を摘出するか、そうではなく化学療法、放射線療法の組み合わせにするかの選択を迫られます。声帯を摘出したほうが再発の可能性は低くなりますが、そのかわり声を失うことになります。どちらをとるかは、その人の選択になります。とはいえ、そういう判断は簡単にできるものではありません。
たとえば、アメリカのような外科医の影響力が強い国では、摘出手術をするよう医師のほうから説得される場合がほとんどです。手術への同意を求めてくる医師に対して、声帯を残して化学療法で治療したいと要望するのは、ものすごいエネルギーが要ります。
そういう状況のなかでも、本人の意思もとに、さまざまな情報の中から本当の情報を選び取り、過去の知見を踏まえて、自分らしい判断を行い、医療者にきちんと意思表示できる患者が人口の1割くらいになれば、医療は変わっていくと思います。
そのためには、本人の意思や意識の醸成も必要ですが、何よりそうした覚悟をサポートするシステムが必要です。心のケアを含め、制度やシステムに関する情報提供も含め、あらゆる側面からサポートできる体制です。そうやって賢い患者が現れてくれば、医療システムはそこから変化していくと考えられないでしょうか。
――私たちの周りにはいま健康や医療に関する情報があふれていて、何を信じてよいのかわからなくなります。β-カロチンのように、昨日までがんを抑制する物質といわれていたものが、一転、あるところからはがんを促進してしまうことが判明したといったことが、普通に起こります。
栄養学はまだまだ未発達な学問領域ですから、サイエンスが新しい発見をしていく過程で、そういうことは今後も繰り返し起こるでしょう。それだけでなく、真偽のはっきりしない医療情報がネットで大量に提供される時代になりました。自分の遺伝子を読んでくれるサービスも始まりました。しかし、自分がアルツハイマーやがんに将来なる確率を聞いても我々はどうしたらよいのか途方に暮れるだけです。
幸い、多くの慢性病は生活習慣とかかわりが深いのですから、そういう情報を賢くより分けていき、生活習慣を着実に改善していくことを支援してくれるシステムが必要です。
不勉強のまま情報を垂れ流すマスコミや様々なネット情報の責任も大きいと思いますが、その前に、私たちは考えなければならないことがあると思います。
――なんでしょうか。
詰まるところ、「人間」というトータル・システムはまったくわかっていないという事実です。医療や健康の問題を考える時、私たちはもっとそのことに自覚すべきだと、私は思うのです。トータル・システムが解明されていない以上、外科的治療にしても内科的治療にしても、あるいは民間療法にしても、すべてはミニプラン的な問題解決だということです。
特に、西洋医学は要素還元的なアプローチをとってきた歴史がありますから、その意味では、病気を治すということは、病気の症状1つ1つに標的を絞り、それを個別に治していくしかないという部分解的ミニプランです。その処置が周辺の臓器や器官にどういう影響を与えるかは、とりあえず考えずに標的を狙う。「人間」のもっている自然治癒能力というトータル・バランスを取るシステムであることを前提とした、ある意味、ずいぶん荒っぽいミニプランなわけで、当然副作用は起こります。
人体は消化器系や循環器系システムや代謝システム、免疫システムなど多くのシステムが統合した全体=トータル・システムとして存在を維持しているのですからね。外からの力が、あるサブシステムに対しては正の作用をしても、別のサブシステムに対して負の作用をしてしまうことは当然あります。それでも、正の作用のほうが負の作用より大きければ効果ありということで、医療は進歩してきたのです。