――海外では、Cクラスが企業全体としてのCXをマネジメントする事例が増えているのでしょうか。
よく知られている例の一つとして、シンガポール航空にはCXマネジャーがいて、かなり大きな権限を持っています。機内食を変えるだけではなくて、複数の部門をまたいで、CXの向上に向けた取り組みをデザインしています。
また、日本でも出店し始めたフランスの大手ホテルチェーン、アコーホテルズはカスタマージャーニーに沿ったデジタル変革を実践し、CXを向上させた事例としてビジネススクールのINSEADがケーススタディをまとめています。同社はラグジュアリーからエコノミーまで数多くのブランドを、世界100カ国ほどで展開していますが、2017年にCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)という役職を置き、セールスとマーケティング、データ、CXなど複数の部門を統括させているそうです。
顧客接点をシームレス化し、統合的にデータを見て顧客価値を上げていくという点で参考になる事例ではあると思います。ただ、気をつけてほしいのは、こうした海外の事例は正解を教えてくれているわけではありません。企業は1社ごとに置かれている条件が違うわけですから、自分の会社に当てはめながら、自分たちなりの答えを見つけ出す必要があります。
――デジタルマーケティングツールが発達し、カスタマージャーニーの可視化はかなり進んできましたが、「データを十分に活用できない」という悩みをよく聞きます。
ビッグデータが注目を集めたときもそうでしたが、データがたくさんあれば何でもできるというのは幻想です。取り組みを始めたけれども成果が見えない企業は、そもそも自分たちの課題は何で、それをどう解決したいのかという問題意識や仮説がはっきりしていないので、どんなに大量のデータを持ち、データサイエンティストを雇ったところで、その効果は見出しにくいのではないでしょうか。
人とテクノロジーの
棲み分けをデータで検証する
――マーケティング研究の分野における最近のホットトピックや注目されている動きなどがあれば、教えてください。
CXには、大きく分けて購買前と購買後の2つのエクスペリエンスがありますが、実際に顧客が商品・サービスを経験する部分は、研究すべきテーマがまだまだ残されています。

例えば、顧客の経験プロセスです。経験には「順序効果」があるといわれています。仮に病院での待ち時間がトータル1時間として、最初に1時間待たされる場合と、診察の前と後で30分ずつ待たされる場合とでは、どちらがより負担に感じるか。結論をいうと、嫌な経験はまとめたほうが、人が感じる負担や苦痛は軽くなります。逆に良い経験は分散させたほうがいい。だから、テーマパークのアトラクションは、乗っている時間が少なくても、いろいろな種類があったほうがいいのです。
カスタマージャーニーマップは、いろいろなインサイトを与えてくれますが、順序効果やお客様の感じ方、後から振り返ったときに何を思い出すのか、といったメカニズムをマーケターはあまり考慮していません。ブランドや商品・サービスを人に勧めたいとか、ロイヤルティを感じるといったことは、経験の記憶が大きく影響しているといわれています。記憶に残る経験とは何かを行動科学的に解明していくことは、研究テーマとして非常に面白いと思っています。
もう一つ、私が関心を持っている研究テーマとして、「テック&タッチ」が挙げられます。いままで人が行っていたサービス(タッチ)をテクノロジーに置き換えていく流れが大きくなっていますが、それがCXにどのような影響を与えるのかを研究しています。
銀行を使うにせよ、飛行機に乗るにせよ、私たちは必ずしも電話をかけたり、サービスカウンターに足を運んだりしなくても、ネットやモバイルでできてしまう時代です。
にもかかわらず、顧客がわざわざ電話をかけたり、店に行ったりするのはなぜなのか。私自身も学術研究の立場から、過去の膨大なデータをひっくり返して検証しています。
例えば、コールセンターに問い合わせてくる人は、いきなり電話をかけているわけではなくて、説明書を読んでもネットで検索してもわからなかったから、ちょっとイライラした状態で電話をかける、という経験をしています。しかも、なかなか担当者につながらないことが多いから、オペレーターは怒られることが多くなります。
どういう経験をした後に電話をかけてきたのかを分析すれば、CXの改善にもつなげられますし、人間がケアすべきプロセスは何か、あえて人間にやらせずにテクノロジーに置き換えるべきプロセスはどこかが明らかになるのではないか。そう考えています。