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データは新たな石油だと大きな注目を浴び続けているにもかかわらず、いまだに意思決定のほとんどが直感にもとづいて下されている。仕事の世界、特に人材マネジメントの世界では、その傾向が強い。あなたの会社でも、能力は劣るのに、うわべのコミュニケーション力が優れた人が評価されてはいないだろうか。筆者は、データドリブンの推進を阻む最大の要因は社内政治だと指摘する。


 データは、有益な製品・サービスや発展を生み出す新たなゴールド石油土壌としてもてはやされている。

 それは正しいかもしれない。しかし実際には、データは単なる記号にすぎず、ほとんどが0か1の数字でできている。

これは、最も複雑なアルゴリズムについても当てはまる。そして、私たちが人工知能(AI)について語るときに意味するものはたいてい、異なる変数の照合や大規模なパターン予測を行うために0か1を代入する、「分類(クラシフィケーション)ソフトウェア」である。

 もちろん、生活に関わる分野のほとんどにおいて、データを洞察に変換するためには、いまだに人間の専門知識が必要だ。それらの洞察にもとづいて行動する意思こそが、最終的に人をデータ志向にさせる。洞察を伴わないデータは無意味であり、行動を伴わない洞察も無意味である。

 こう書くと抽象的に響くかもしれない。しかし、私たちは日頃から、生活の多くの面で――たとえデータサイエンティストでなくても――実際にこのような原則に従って動いている。

 たとえば、アマゾンから勧められた商品を購入する、ネットフリックスから提案された映画を観る、自分の好みに合わせてスポティファイから推奨された曲を聴くといった意思決定を通じて、人々はデータにもとづき生活に変更を加えている。

 同様に、カーナビアプリのウェイズ(Waze)やグーグルマップを使って車や自転車のルートを決める、服を着る前に天気予報をチェックする、飲み物を選ぶ前にビビノ(Vivino)でワインボトルをスキャンするなども、データドリブンな行動だ。

 2020年における平均的な消費者は、20年前の消費者に比べると格段にデータドリブンである。当時の生活はいまよりもずっと場当たり的で、偶然性が高く、間違いを起こしやすいものだった。

 とはいうものの、データドリブンが実際の現実ではなく、願望や幻想にとどまっている分野も、いまだにたくさんある。