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よい企業も悪い企業も取締役会に大差ない
エンロン、ケーブルTVのアデルフィア・コミュニケーションズ[注1]、タイコ・インターナショナル、ワールドコム(現MCI)など、かつての優良企業が不正会計によって失墜した後、公開企業の取締役会に世間の注目が集まるようになった。
株主から経営陣の手綱を任された取締役たちは、まさか居眠りでもしていたというのだろうか。それとも腐敗した経営陣とグルだったのか。単に無能だったのか──。取締役会が犯罪的ともいえる決定的な怠慢という過失を犯してさえいなければ、ここまで深刻な企業不祥事が起こるはずがない。
しかし、これら企業の取締役会をつぶさに調べてみても、無能や腐敗の典型的なパターンを見出すことができない。むしろ、一般に求められる行動規範をおおむね守っていた。
会合にはまめに出席していた。みな会社の株をかなり保有していた。監査委員会や報酬委員会が設置され、厳格な倫理規定もあった。人数も多すぎず少なすぎず、年齢のバランスが取れていた。たしかに、一部の企業には社内取締役が多く、独立性という点に問題があったが、破綻企業すべてがそうだったわけでもない。
取締役会の構成について調べてみると、失敗してしまった企業も、みごと成功を収めた企業もだいたい同じなのだ。言い換えれば、破綻企業の取締役会も、健全に機能するとされる取締役会の特徴をほぼ備えていたのである。それゆえ、問題の根は深いといえる。
私は25年間にわたって取締役会のパフォーマンスとCEOのリーダーシップについて観察してきたが、その経験を通じて近年の企業不祥事を俯瞰し、一つの結論に至った。大企業の取締役会を運営する基準、そのパフォーマンスを評価する基準を、抜本的に考え直さなければならない時が来たということである。
取締役会の構成はどうあるべきかなどではなく、取締役会という一つの社会システムをどのようにマネジメントすべきか、この点について検討しなければならない。取締役会の規定をより細かく、かつ厳しくしたところで、うまくいく可能性は低い。もっと重要な欠陥に目を向けなければならない。つまり、高次元の機能を果たし、互いに信頼し合い、疑問をぶつけ合い、企業が直面している重要課題について経営陣と対決できる強力な集団をつくり上げるということだ。
ガバナンス強化論者はすでに、ガバナンスの失敗を防ぐ具体策を少なからず示してきている。そのほとんどは、会社や取締役会の構造、制度に関するものである。規則や手続き、委員会の構成などをいじれば、俊敏で熱意にあふれた取締役会へと改革できるというのだ。