欧米のリーダー層は
いまだに中国を理解していない

 筆者たちが1990年代前半に初訪問した当時の中国の姿は、現在とは大きく異なっていた。北京においてさえ、多くの人が人民服を着てどこへでも自転車で移動しており、乗用車を使うのは中国共産党の幹部だけだった。そして地方では、幾多の伝統が依然として息づいていた。しかし以後の30年間で中国は、経済発展と設備投資の増大を目指す政策の恩恵により、世界の強国にのし上がった。いまや世界第2の経済大国となり、急拡大する中間層は消費意欲をみなぎらせている。

 ただし、変わっていないことが一つある。欧米の政治家や企業経営者は、いまだに中国を理解していないのだ。たとえば、「新たに経済的自由が得られたなら、それに続いて政治的自由ももたらされるはずだ」と信じ、中国のネット事情についても「自由度が高く、ともすれば政治を揺るがす欧米のネット社会と、さして違わないだろう」と誤解してしまう。そのうえ多くの人々は、「中国の経済発展は欧米と同じ基盤の上に成り立つはずだ」という考えに囚われ、投資、規制、知的財産の所有に関して国家が従来通りの役割を担い続けることを見通せなかった。

 欧米のリーダー層はなぜ、これほど性懲りもなく中国を誤解し続けるのか。筆者たちは研究を通して、経済・政治両分野の人々が現代中国について、ややもすれば、広く流布してはいるが根本的に誤っている前提に囚われてしまう様子を見てきた。本稿で述べるように、このような誤解は、中国の歴史、文化、言語に関する知識不足を映し出している。そのせいで、中国とほかの国々に関して、もっともらしいが深刻な欠陥のある類似性を導き出してしまうのだ。