グローバルなメガトレンドにうまく対応できなかったことが、日本経済の「失われた30年」を招いた。根本的な要因の一つは、「競争」や「市場原理」のメカニズムが機能せず、個人のキャリア自律を阻害している日本特有の雇用システムにある。『経営者が知っておくべきジョブ型雇用のすべて』の著者であるマーサージャパンの白井正人氏は、そう指摘する。
これに対して、『ワーク・シフト』の著者として知られるロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットン氏は、個人のキャリア自律を促すには組織と個人が「親と子」から「大人と大人」の関係へとシフトする必要があると説く。(この対談はオンラインで行った)
「メンバーシップ型雇用」は環境変化に弱い
白井 グラットン教授の最近の関心事は何ですか。
グラットン やはり、いろいろな面で大きな影響をもたらした(新型コロナウイルス感染症の)パンデミックですね。『ハーバード・ビジネス・レビュー』に寄稿した論文(How to Do Hybrid Right, 日本版「ハイブリッドワークで理想の職場を実現する」)でも述べましたが、コロナ禍によって企業は働く「場所」や「時間」の柔軟性を高めるハイブリッドな働き方への転換を加速させています。
日本にとって、コロナ禍がもたらす長期的な変化は他の国に比べても大きいのではないでしょうか。
白井 その論文は私も読みました。冒頭で富士通のハイブリッドワークへの取り組みについて紹介されていましたね。

マーサージャパン
取締役執行役員 組織人事変革事業責任者
30年間にわたり組織・人事領域の経営コンサルティングに従事。2013年より、マーサージャパンの組織・人事変革コンサルティングの事業責任者として大幅な成長を実現。早稲田大学理工学部卒業、エラスムス大学ロッテルダム・スクール・オブ・マネジメントMBA修了。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師。著書に『経営者が知っておくべきジョブ型雇用のすべて』(ダイヤモンド社)、『ジョブ型雇用はやわかり』(日経BP)など。
今日は、日本社会におけるキャリア自律の必要性、重要性についてグラットン教授のご見解を伺いたいと思っています。なぜなら、キャリア自律が日本の企業経営において、非常に重要なアジェンダとなっているからです。
グラットン教授は日本政府の「人生100年時代構想会議」の議員を務めていらっしゃったこともあるので、日本企業の人材マネジメントについてはご存じだと思いますが、最大の特徴は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる雇用システムにあります。
日本経済は過去30年以上にわたって低迷を続けていますが、その大きな要因の一つとしてメンバーシップ型雇用が環境変化に合わなくなったことが挙げられます。ここでいう環境変化の代表的なものは、世界的なメガトレンドであるグローバル化、デジタル化、少子高齢化などです。
メンバーシップ型雇用の根幹は、「雇用保障」と「会社裁量による異動・転勤」にあります。日本企業に入社すると多くの場合、個人は組織へのフルコミットメントが求められる代わりに、長期間の安定的な収入が保障されます。つまり、雇用は保障されますが、会社が「やれ」と言った仕事は、基本的に何でもやらないといけません。職種を超える配置転換も転勤も会社の裁量で自由に行えます。
このメンバーシップ型雇用においては、「個人が自律的にキャリア形成をしない」のが原則です。この状況が第二次世界大戦後75年以上続いており、自分たちがキャリア自律できない構造にさえ、多くの人は気づいていません。
しかし、この雇用システムは経営環境の変化に弱いのです。環境変化が起きると、個々の企業は戦略を再構築し、その戦略を実行するために必要なケイパビリティ(組織能力)が変わります。会社組織としては「人材を入れ替える」か、「個人のリスキリング・アップスキリング(能力の再習得・向上)」によってケイパビリティの転換を図るしかないのですが、メンバーシップ型雇用ではどちらも難しいのです。
雇用が保障されているので人の入れ替えが起きにくいですし、会社の指示で従事する仕事が決まるので、個人が自発的にリスキリング・アップスキリングするインセンティブが働かないのです。
違う言い方をすると、日本では労働市場において市場原理が十分に機能していません。会社が個人のキャリアを交通整理してしまうので、個人がキャリアをめぐってスキル獲得競争をすることがないですし、人の出入りが少ないので企業間の人材獲得競争が起きにくい。結果として、個人も会社も成長しにくいのです。
一方、欧米などで一般的な雇用システムを私たちは「ジョブ型雇用」と呼んでいますが、ジョブ型雇用の根本は労働力の市場取引であり、ジョブやキャリアを巡って個人間の競争があり、人材を巡る企業間の獲得競争も日本に比べるとはるかに熾烈です。
こうした競争によって、個人は環境変化に適応するためのリスキリング・アップスキリングを促され、企業は人材を引き付けられるより魅力的な組織になる努力を迫られます。そういうメカニズムによって個人も会社もみずからを磨き続けることが、社会全体の活性化につながっています。
ですから、これまで日本の労働市場にあまり存在しなかった「市場原理」や「競争」という概念を雇用システムに組み入れることをエンジンとして、社会の再活性化を図るべきだと私は考えています。