人の行動を理解して、相手に合わせて変化を促す「行動変容2.0」

波江野 人の行動を理解し、それに基づいてナッジを活用した施策を打ったとしても、その結果に関するデータがないと施策がうまく機能したかどうかもわからないですし、次にどのように改良したらいいのかもわかりません。そういった点でもデータが必要ですね。

福吉 それが「行動変容2.0」だと私は言っています。ネット広告などが典型的ですが、ビジネスの世界のマーケティングでも、どういう人にどういうメッセージを発信するのかをデータに基づいて判断するようになっていますし、どう響いたかもデータで追跡しています。その結果、どんどんマーケティングがパーソナライズされているわけです。これからはソーシャルマーケティングもそうであるべきだと思います。

 なぜかというと、自治体はビッグデータの宝庫なんです。納税情報、健診情報、レセプト(診療報酬明細書)などのデータがありますし、出生届や死亡届の記録もある。言わば、ライフコースデータがそろっているわけです。

 この人は過去に検診を受けたことがあるのか、受けた人の中でも健康意識が高いのか低いのか。そういうようにどんどん細分化、パーソナライズして行動変容を促すことが自治体データを活用すれば可能なのです。

波江野 そういった意味でも、行動変容2.0を目指すうえで、人の行動や打ち手の効果を理解する目的においてさまざまな段階でデータを集め、それらをつないで、解析し、活用する。その一連の取り組みが大事かもしれないですね。

 それを実現していこうとすると、ヒト起点の行動観察と使えるデータの枠のジレンマが、日本の場合はあると思います。人は移動しますから、違う自治体に引っ越すことがありますし、いまの日本の仕組みでは同じ疾患でも異なる医療機関に通院することもあります。

 ですから、それぞれの自治体が持つデータをいかにつなげていくか、もしくは医療機関の枠を超えて、いかに一人ひとりの健康状態や健康意識などを理解できる情報が揃っているか。そこが、行動変容を起こすうえで、非常に重要になると思います。

波江野 武
モニター デロイト
パートナー/執行役員
ヘルスケアストラテジー
モニター デロイトにおけるアジアパシフィックのヘルスケア領域のリード。日本、米国、欧州・デンマークでのヘルスケアビジネスでの経験、およびP&G Japanでのビジネス経験をもとに、国内外の健康・医療問題について社会課題としての解決とビジネスとしての機会構築の双方を踏まえたコンサルティングを、政府、幅広い業界の民間企業などに幅広く提供。米カリフォルニア大学バークレー校 経営学修士・公衆衛生学修士。

福吉 おっしゃる通りです。我々は最近、いろいろな自治体と包括協定を結ぶようになりました。従来は、「このデータはこの目的にだけに使ってください」という厳密な契約に基づいて委託事業をやっていましたけれども、包括協定を結ぶことによって、さまざまなデータを利活用して、新しい知見を生み出したり、これまでにない取り組みを一緒にやったりというように、自治体と共同でデータ活用を進めているのです。

 自治体データは宝の山ですが、やはり民間の技術やノウハウ、アイデアがあってこそ、その宝が活かされる。自治体データを公共財として、官民連携でそれをいかに有効活用していくかということが、すごく大事だと思います。

波江野 そうですね。人の行動を変えようとした場合に、行政だけでは変えられないですし、民間企業だけでも変えられません。

 そういう意味で、英国の減塩対策はとても示唆に富むものだと思います。英国政府は塩分が多く含まれるパンやポテトチップスなどの食品数十品目について、大幅な減塩を促す政策を実行し、虚血性心疾患や脳卒中の患者、そして医療費を削減することに成功しました。

 この国家的な減塩対策を進めるうえで重要な役割を果たしたのが、CASH(Consensus Action on Salt and Health:塩と健康についての国民会議)という独立機関です。

 当初、食品メーカーは政府が求める減塩目標達成に対して前向きではありませんでした。塩分を減らして味が変わってしまったら、商品が売れなくなることを恐れたからです。

 これに対してCASHは、塩分をいっきに減らすのではなく、毎年少しずつ減らすことを提案しました。塩分を少しずつ減らせば、消費者は味の変化に気づかず、商品の売上げにも影響しないということが研究結果からわかっていたからです。そういう行動心理に関する考え方やデータに納得した食品メーカー各社が協力し、結果的に政府は減塩目標を達成することができたわけです。

 人を説得して自主的に行動変容させることだけが解なのではなく、英国の減塩政策のように外部環境を変化させたり、行動心理学の考え方を用いたりすることで公衆衛生課題を解決するアプローチもあります。そういうさまざまな方法があることは、押さえておくべく重要なポイントだと思います。

 そして、官民あるいは産官学のさまざまなプレーヤーが関わる大きなプロジェクトでは、それぞれのプレーヤーの関心や利害の違いを、課題解決や目指す像に結び付ける接着剤としての役割をデータが果たすとも言えると思います。