ポリシーデリバリーはマーケターの仕事である

福吉 英国は元々、公衆衛生学やソーシャルマーケティングが発展していて、ナショナル・ソーシャルマーケティング・センター(NSMC)やBIT(The Behavioural Insights Team)といった独立機関があり、マーケティングや行動科学などの研究者、専門家が集まっています。

 そうした独立機関が政府と一緒にEBPM(エビデンスに基づく政策立案)を推進し、民間企業などとも協力しながら政策を実行してきた歴史があります。

 NSMCの初代センター長で、ソーシャルマーケティングの創始者と言っていいジェフ・フレンチという人がいるのですが、かつて会った時に彼は、「ポリシーディベロップメント(政策立案)は官僚や政府の仕事だけれども、ポリシーデリバリー(政策の社会実装)はソーシャルマーケターの仕事だ」と言っていました。

 要するに、国民の健康を増進し、医療費を下げるために健診受診率50%を達成する、そのための健診制度をつくるといった施策は政府の仕事ですが、そういう政策や制度をつくればみんなが受診するかというとそこはまた別の問題で、一筋縄ではいかない。そこには、行動変容やマーケティングの専門家が必要になるということです。

波江野 行動変容を起こす、人が“正しい”行動を取るように促すには、ヒト起点で考える必要があります。データはもちろん重要なのですが、データから発想すると、ビジネスにおけるプロダクトアウトと同じで、いい政策や制度をつくったはずなのに誰も使ってくれない、人の行動が変わらないということになってしまう。

 ですから、人の行動をじっくり観察して理解を深めるとか、医療や介護などの現場知識を身につけるなど、バックグラウンドとなる文脈や仮説を持ったうえでデータを見て仮説を立て、実行・検証していく。そういうヒト起点の仮説・検証能力がないと、データがどれだけあろうと意味がありません。

福吉 まさしくその通りで、我々はビッグデータを扱っているのでビッグデータカンパニー、データビジネスの会社だと誤解されることがあるのですが、我々自身はビヘイビアチェンジカンパニー(行動変容の会社)だと思っています。

 社会課題を解決するにはさまざまなルートがあり、どういう人のどういう行動を変えることが健康に資するのかという仮説を構築し、それを検証するために我々はデータを使っています。そこが、ビッグデータカンパニーと大きく違うところだと思います。

 一例を挙げると、キャンサースキャンとバイオ創薬のアムジェンが、大阪市との官民連携で行った骨粗しょう症疾患啓発事業があります。

 要介護となる原因の第1位は認知症、第2位は転倒時の骨折です。骨折をして、それが原因で寝たきりになって認知症が進み、要介護になっていくという方がとても多いのです。一度、骨折した骨粗しょう症の患者さんは短期間のうちにまた骨折してしまう「二次骨折」のリスクが高くなります。一度目の骨折から1年以内に次の骨折を起こした人は23%、5年以内では54%に上るというデータもあります。

 大阪市での三者連携事業は、一度骨折を経験しているのに骨粗しょう症の治療を開始していない人たちに向けて、二次骨折予防のための受診を促し、要介護となるリスクを軽減するために行ったものです。

 我々が調べたところ、一度骨折して治療をした高齢者の中で、骨粗しょう症の治療をした人は2割しかいませんでした。であれば、残り8割の人に骨粗しょう症の治療を勧奨してあげたらいいんじゃないかという仮説を立てました。

 自治体のビッグデータを調べれば、骨折歴があるのは誰か、その中で骨粗しょう症の治療歴がない人は誰かをすぐに抽出できます。結局500人近くになったのですが、その方々に骨粗しょう症の治療を勧める通知をし、のちにアンケートを取ったところ、5割近くの人が「病院に行こうと思う」と回答してくれました。