メタバースで、ものづくりが変わる

 新材料・新素材の開発や、創薬の分野なども今後は、AIとシミュレーション技術を活用して、成功確率や開発スピードを上げていくことになると思いますが、実際にそういった動きは日本でも出てきていますか。

大崎 まだまだ少ないと思います。研究者の皆さんは、そうすべきだとわかっていらっしゃるのですが、日本の組織は制度や仕組みがいろいろなレガシーに縛られているため、簡単にはいかないようです。いままでのやり方も踏襲しながら、ハイブリッド型で徐々にデジタル、AIにシフトしていく企業が多いのではないでしょうか。

 AIでシミュレーションを行う場合、ネックとなるのはデータを取るのが難しい現場があることです。たとえば、車の走行データを集めるにしても、実際にすべての都市をあらゆる状況下において走らせることは不可能ですし、事故のパターンもすべて再現できるわけではありません。だからこそ、デジタルであらゆる都市空間や道路状況などを再現し、そこで取ったデータをAIに学習させ、シミュレーションモデルをリアルの世界にフィードバックしていくことが必要です。

 また、現在最先端といわれているAIの言語モデルでも、ときに人間を超えた言語応答の精度を実現している一方で、「チーズは冷蔵庫で溶ける」と答えてしまうといった“穴”が残っています。そうした穴も、デジタル空間におけるシミュレーションに導入されるさまざまな物理法則やルールで構築された体系と、そこからの学習データを適用することによって、そのような回答は間違いであると判断することができるのではないでしょうか。そういう意味でも、AIとシミュレーションの組み合わせは今後、非常に重要になっていくと考えています。

大崎 まったく同感です。シミュレーションによってあらゆるパターンで検証を繰り返すと同時に、そこから出てきたデータでAIを鍛える。当社のデジタルツインプラットフォーム「Omniverse」(オムニバース)では、我々の中核技術であるコンピュータグラフィックス、シミュレーション、AIによってまさにそれを実現できます。

 シミュレーションの領域がメタバースとリンクしてくるわけですね。

大崎 そうです。Omniverseはすべてグラフィックスでつくり上げられた仮想世界で、レイ・トレーシングやAIなどの技術によって、驚くほどリアルで没入感のある世界を構築しています。もちろん、さまざまな物理条件やアバター(分身)などもすべてリアルタイムで動くようになっています。

大崎 真孝エヌビディア日本代表兼米国本社副社長

営業、マーケティング、技術サポート、ビジネスディベロップメントなどのさまざまなマネジメントに従事。2014年から現職。首都大学東京(東京都立大学)で経営学修士号(MBA)取得。

 メタバースと聞くとゲームやSNSを想像する人が多いかもしれませんが、Omniverseのように現実世界の再現性を極限まで高めることができれば、仮想空間でものづくりを行うこともできます。製品のクオリティを上げるために、現実世界では不可能なシミュレーションを行うことも可能です。

 エンタテインメントやコミュニケーションの世界だけでなく、むしろ新たな仕事空間として大きなパラダイムシフトをもたらすのが、メタバースだと私は考えています。

 たとえば、Omniverseの中の工場を稼働させ実際の影響を確認したうえで、現実の工場を最適な形で動かせるようになるということですね。

大崎 実際にOmniverseで工場全体をシミュレーションして、最適な生産ラインを設計する取り組みがドイツのBMWでスタートしています。

 一方、スウェーデンのエリクソンは街全体をOmniverseで再現して、5G(第5世代移動通信システム)の電波がどう反射するのかをシミュレーションし、基地局の最適な配置を検証しています。

 さまざまな企業や組織がスマートシティの開発に取り組んでいますが、デジタルツインでシミュレーションすることで、開発コストやリスクを抑えることができますね。

大崎 スマートシティもそうですが、日本が不利だと思うのは、実証の場をゼロからつくらなくてはならないことです。たとえば、中国では既存の都市を実証実験の場として使っており、両者のスピードの差は歴然です。

 また、欧米の自動車メーカーでは、販売した車が実際に走行している状況もビッグデータとして集めています。そうしたデータを活用しながら開発している運転支援システムと、実験施設だけで検証したものとでは、技術力に大きな差が生じるのではないかと懸念しています。Omniverseをうまく活用して、開発のスピードとクオリティを上げていただきたいと願っています。