
中外製薬をバイオ医薬品のリーディングカンパニーに育て上げた立役者である永山治氏は、医薬品は社会の共通資本であり、製薬会社には国民のために画期的な新薬をつくる義務があると語る。
他方、バイオの分野で出遅れた日本はグローバルな創薬レースで後れを取り、医薬品は大幅な輸入超過の状況で、安定供給が滞るリスクを抱えている。こうした状況を打破するために、日本の産学官それぞれが取るべき道は何か。デロイト トーマツ コンサルティングでライフサイエンスとヘルスケアをリードする根岸彰一氏と大川康宏氏が、永山氏に聞いた。
ロシュとの戦略的アライアンスは
想定以上の成果をもたらした
根岸 中外製薬は画期的な新薬の開発力や企業としての成長力などさまざまな点において、多方面から注目を集めています。永山さんご自身は、中外製薬の現状をどうご覧になっていますか。
永山 日本の同業他社との明らかな違いは、(世界的な大手医薬品メーカーである)スイスのロシュと「戦略的アライアンス」を結んでいることでしょう。ごく大ざっぱに言えば、それに通じて当社は成長することができました。
アライアンス開始後も当社は自主経営を維持し、R&D(研究開発)も独立して行ってきました。新薬候補のアーリーステージ(早期)の臨床試験までは当社が行い、後期の大規模臨床試験と海外販売は導出先のロシュが主導しています。
後期臨床試験と海外販売についてロシュのリソースとネットワークを活用することで、当社は創薬と早期開発に集中的に資金を使えるようになり、複数の抗体医薬の開発とグローバルでの上市を進められました。ロシュとの戦略的アライアンスを決めたのは、R&Dの中でも特にバイオ分野への十分な投資を続けられるようにすることが大きな目的でしたから、当初の計画通りといえます。
一方、ロシュは中外製薬が開発した有望な新薬を導入してグローバルで販売できますし、日本においては中外の販売力でロシュ製品を市場展開できます。これによって、双方が売上げと利益を伸ばすことができました。ざっくり言うと、それが過去20年間の軌跡です。
根岸 2002年に戦略的アライアンスを開始されたのは大きな決断だったと思いますが、今日のような将来像について確信はあったのでしょうか。
永山 確信があったわけではありません。1998年にロシュのCEOに就任したフランツ・フーマーさんとはそれ以前から知り合いで、CEO就任後は彼が日本に来るたびに食事をしたり、私が欧州に出張した際には彼を訪ねたりして、医薬品業界の現状や将来展望について意見を交わす間柄でした。
21世紀は薬の開発がますます難しくなり、R&D費は巨額になる。製薬会社の成長を決めるのは新薬を生み出せるかどうかだが、新薬開発の成功率は下がるので、経営のリスクは大きくなる。それが、私たち2人の共通認識でした。

中外製薬
名誉会長
慶應義塾大学商学部卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)入行。ロンドン支店勤務を経て、1978年中外製薬入社。1985年取締役開発企画本部副本部長、1987年常務取締役、1989年代表取締役副社長を経て、1992年代表取締役社長 CEO。2012年会長 CEO、2018年代表取締役会長。2020年3月から現職。1998〜2004年日本製薬工業協会会長。政府のバイオ戦略有識者会議座長、バイオインダストリー協会代表理事・理事長などを務める(現任)。
一方、中外製薬は早くからバイオ医薬品の開発に取り組み、関節リウマチなどの治療薬「アクテムラ」が臨床試験の段階に入るなど、バイオに強みがありました。ロシュも抗体の抗がん剤の「アバスチン」が臨床試験のフェーズ3まで進むなど、バイオ医薬品の研究で欧州をリードしていました。子会社のジェネンテックも米国でトップを競うバイオ医薬品メーカーでした。
バイオ医薬品の創製には、新たな創薬技術の獲得のみならず、生産段階でも細胞を培養・精製する技術と設備が新たに必要となるなど莫大な投資が必要でした。21世紀にかけてバイオテクノロジーが創薬の主流になっていくとフーマーさんと私は考えていたので、一緒にやれば大きな相乗効果を発揮できると見て、戦略的アライアンスを決断したわけです。
ロシュの開発パイプライン(新薬候補)が我々の想定以上に優れていたこと、中外の薬剤が海外市場で予想を上回る売れ行きとなったことなどから、戦略的アライアンスはもくろみ以上の成果をもたらしましたが、大きな流れとしては私たちの想定通りだったといえます。