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「マネジャーらしい発想」とは何か
カナダに本拠を置く大企業のCEOから最近、「エンジニアたちはマネジャーらしい発想ができない」という不満を漏らされた。よく耳にする不満だが、その背後には「マネジャーらしい発想とは何か」というきわめて重大な問いが隠されている。
残念ながら、昨今ではこの問いはほとんど注目されていない。もっぱら「リーダーシップ」に関心が向けられ、「マネジメント」は脇に追いやられてしまった。優れたマネジャーを目指す人などおらず、だれもが偉大なリーダーに憧れる。
しかし、マネジメントをリーダーシップから切り離すのは危険だ。リーダーシップなきマネジメントは組織から活気を奪い、マネジメントなきリーダーシップは自信過剰を招く。だれもが知るとおり、自信過剰は組織を破滅させかねない。そこで、本来のマネジメントに立ち返ってはどうだろうか。
ただし困ったことに、本来のマネジメントは複雑で混沌としている。マネジャーには相反する命令が下る。
たとえばこんな具合だ。「グローバルに発想しながらも、ローカルに密着せよ」「協調を重んじつつ、競争には後れを取るな」「たゆまず変化せよ、ただし秩序は保つように」「業績を上げながらも、人材の育成を忘れずに」等々──。こんなことは不可能だ。
成果を上げようとすればマネジャーは、このような一見したところ「矛盾する要請」に向き合い、深い調和を達成しなければならない。それは、「何を成し遂げるべきか」だけでなく、「どのように発想すべきか」という点に注意を払うべきことを意味している。マネジャーにはいくつもの「マインドセット」が求められるのだ。
筆者たちは90年代半ばに、第一線のマネジャーを対象とした新しいマスター・コース(国際経営学修士プログラム)を設けたが、その狙いも、マネジャーたちがこれらの点を十分理解できるように、手助けすることだった。
従来のMBA教育は、マネジメントの世界をマーケティング、財務、会計といった職能別に縦割りしているため、それでは役に立たないと考えた。筆者たちの意図は、そうした狭い分野の仕事に携わってきたマネジャーたちを教育することなのだ。それをあえて職能別の世界に押し込んだのでは、およそ意味がないだろう。縦割りではなく、すべての職能分野を統合した、新しいコースを設ける必要があった。