ある企業の社長は、重役のひとりを赤字部門の建直しの仕事に任命した。この際、社長から出された指示は、「ともかく黒字にしろ」という一言だけであった。この命令が出てから2年のうちに、この重役は、赤字部門を数百万ドルの利益をあげるところまで建直しに成功した。この成功から、この重役はさらに高い地位への昇進に対し準備完了したと自ら宣言し、加えて他社からもさまざまな好条件の誘いが来ていることをも宣伝した。

 これに対して、社長は、この重役の誇らしげな自己の行動成果についての宣伝に賛意を示さなかった。むしろ逆に、社長としては、この重役の仕事の進め方に全く満足ができなかったのである。

 当然の結果として、この重役は会社を去ることになったが、重役は社長に、自分がとってきた行動の一体どこが、気に入らなかったのかを尋ねてみた。社長が答えていわく、「なるほど達成すべき目標は立派に達成してくれた。ただし、その仕事の進め方は自己のパーソナリティをまるだしにした、きわめて独善的なものだった。さらに、君は企業としても財産と考えている有能な人材を放出してしまった。その結果、たしかに君の長所を発揮して目標は達成してきたかもしれないが、組織そのものを弱体化させてしまった。もし君の権威主義的管理スタイルを改めないかぎり、今後の昇進はとても望めないだろう」と。

 この小話は、目標による管理とそれに基づいて組み立てられている業績評価法の欠陥を顕著に示している。というのも、業績評価で何が一体評価されるべきなのかという点に、大きな混乱が存在することを物語っているからである。

 業績評価には次の3つの基本的機能が含まれている。第1は、従業員各人に、達成した業績を正確にフィードバックする機能。第2は、各従業員がさらに生産的な仕事の進め方を習得してゆくために、どのように自己の行動を改善、変革していくかの指針を与える機能。第3は、管理者に、部下各人の将来の仕事を決めたり、昇給額を決定したりするための基礎データを与える機能、この3つである。したがって、業績評価は効果的管理法の実現のために、もっとも重要な事柄なのである。これまで業績評価システムの設計や改善に、さまざまな努力と創造的思考が費やされてきた。もちろん、業績評価そのものが経営にとって、いかに重要で、有効な手段であるかもじゅうぶんに確認されてきている。とはいえ、現在行なわれている業績評価の諸システムが先に述べた3つの機能をじゅうぶんに果たしてはいないという現実にも、目を向けるべきである。

 一般的に定義されているように、業績評価では従業員の行動のみならず、それら行動の結果が評価されるべきこととなっている。にもかかわらず、先の重役のように立派に目標を達成しながら、その目標をいかに達成したかという側面が評価されて、悪い評価が与えられる現実も存在する。したがって、理論的には、業績評価とは成果を評価するためのものとうたわれながら、現実的には、どのように人々が行動したかも評価されているわけである。とは言うものの、行動のあり方については、目標設定の際に公式に記述されることもないし、年度を通じ公式の記録として残されることもない。