第1の環境は、起業的なスタートアップだ。新しいベンチャーの立ち上げ時は、投資家も従業員も顧客もサプライヤーも、巨大な不確実性に直面する。そのプロダクトはきちんと機能するのか。ヒットするのか。会社はスケールできるのか。ライバルに追い抜かれないといえるのか。力強いプレゼンや楽観的な予想とは裏腹に、スタートアップは流動的で、リスクが高く、まだ形が定まっていない仕掛品に等しい。

 このように多くの未知に直面する組織では、関係者がある種の強力な個性を持つリーダーに安心を求めるのは自然なことだ。スタートアップでは、リーダーのカリスマ性が分別をわきまえた人なら不安になるようなリスクを引き受ける信頼感を関係者に与える。リーダーシップの資質としてのカリスマ性が、神学に一部由来するのは偶然ではない。イエス・キリストの使徒パウロは、ローマの信徒への手紙(新約聖書に含まれる)でカリスマについて書いている。また、国家の先行きが著しく不透明な時も、ある種のカリスマ的政治指導者が恩恵をもたらすようだ(英国のウィンストン・チャーチル首相がよい例だろう)。それと同じように、誕生まもない企業もカリスマ的指導者の恩恵を受ける。

 アップルの創業者スティーブ・ジョブズを例に考えてみよう。ジョブズはエゴが強く、しょっちゅうルールを破っていた(見た目が嫌いだからという理由で、車のナンバープレートを外して運転していた)。しかし同時に、ジョブズには「現実歪曲空間」なるものを生み出す比類なき能力があった。アップルの初期の従業員によると、現実歪曲空間とは、「カリスマあふれる話し方、断固として揺るがぬ意志、そして目の前のパーパスに合うようにいっさいの事実を曲げようとする熱意が絡み合った状態」だ。この人物によると、ジョブズは「ある主張で相手を説得できなければ、巧みに別の主張にすり替える。場合によっては、自分が考えを変えたことを認めずに、突如として相手の見解を自分のものだとして主張して、相手を仰天させることもあった」という。

 今日では多くの研究者が、ジョブズの独特のスタイル(厚かましくて挑発的だが、カルト的な支持者を集める能力)を、悪徳ではなく美徳として思い出す。ジョブズは傲慢で、目立ちたがり屋だったが、世界を変えるプロダクトをみごとに生み出した。これはカリスマの効果が費用を上回るかどうかをめぐる議論に関連するデータポイントになるだろう。

 エリザベス・ホームズ(医療ベンチャーのセラノス創業者だが詐欺で受刑中)、アダム・ノイマン(ウィワーク創業者だが放漫経営により更迭)、サム・バンクマン・フライド(暗号資産取引所FTXの詐欺で受刑中)などカリスマ的起業家が社会にダメージをもたらすこともある。その一方で、ジェフ・ベゾス(アマゾン・ドットコム)、マーク・ザッカーバーグ(メタ・プラットフォームズ)、サラ・ブレークリー(女性用下着スパンクス)、リチャード・ブランソン(ヴァージングループ)、アリアナ・ハフィントン(ハフィントンポスト)、ジャック・マー(アリババグループ)らの独創的なビジョンはそれなりに批判はあるが、社会に大きな恩恵をもたらしてきた。

 カリスマ性が特に役に立つ2つ目の環境は、既存企業を再生させる時だ。1970年代後半~1980年代前半、リー・アイアコッカの強烈な個性のおかげで、クライスラーは連邦政府から資金を調達して破産を回避するとともに、派手な宣伝広告でKエンジン(直列4気筒エンジン)車とミニバンという米国車初の商品ラインを成功させた。1990年代初頭には、ルイス・ガースナーのカリスマ性が動きの鈍いIBMに危機意識と変革の大号令をもたらした。ジョブズは、1990年代後半に戻ってきた時、再びカリスマを駆使してアップルを生き返らせた。21世紀はインドラ・ヌーイがペプシコに、ジニ・ロメッティがIBMに新たな命を吹き込んだ。

 リーダーシップの資質の一つとしてカリスマを挙げたウェーバーは、近代の大規模な官僚組織の登場により、カリスマ性よりも能力や合理性が重視されるようになると感じていた。それ以降、カリスマ的リーダーに対する評価は上がったり下がったりしてきた。現在、HBSで新任CEO向けのワークショップを開くと、実に多くの経営者が注目を避け、世間に姿を見せることは極力控えたいと考えていることに衝撃を受ける。クラーナの分析から20年が経ち、多くの企業はセレブCEOを選ぶのを避けるようになった。ざっと考えた時、AT&Tやゼロックス、エクソンモービル、ユナイテッド・ヘルス・グループのCEOの名前を挙げられる人はどれだけいるだろう。

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 一概にカリスマが良いとか悪いと言えるものではないし、ウェルチのような個性主導のリーダーシップを受け入れるべきものだとか避けるべきだと決めつけるのではなく、カリスマの価値が高くなる時と、低くなる時を注意深く見極めることが重要なかもしれない。

 創業まもない企業や、どうにか再生を果たしたい企業の場合は、大物カリスマ的経営者を選ぶのも一案だろう。

 究極的には、カリスマ的リーダーはハイリスク・ハイリターンの選択になることが多い。どのよう企業であっても、カリスマ的な経営者が悪事や不品行や傲慢によって、会社にとって有害になるリスクは存在することを認識する必要がある。同時に、企業再生がうまくいったり、スタートアップのアイデアが新しい分野を打ち立てたりする確率は非常に低い。だが、それが成功した場合は、莫大な利益をもたらすだろう。

 カリスマがこうした確率を少しでも成功に傾けることができるなら、そのリスクを冒す価値はあるのかもしれない。


"When Charismatic CEOs Are an Asset - and When They're a Liability," HBR.org, December 01, 2023.