30年にわたり1000以上の案件を扱った伝説の交渉人

 ブルース・ワッサースタインは昨2007年春、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子、元アメリカ上院議員で北アイルランドの和平交渉を主導したジョージ・ミッチェルなど、えり抜きの人たちと共に、ハーバード・ロースクールの「2007年度グレート・ネゴシエーター・アワード」を受賞した。

 ハーバード・ビジネススクール教授のジェームズ・セベニウスは賞を授与するに当たり、ワッサースタインが2005年5月5日にラザード[注1]で成し遂げた業績の一つである、その名人芸的なディール・メーキング(買収の交渉と締結)について触れた。

 ワッサースタインは、M&Aと財務コンサルティングを生業とし、同族経営を1世紀半にわたって貫き続けた、およそ一筋縄にいかないラザードを解体し、みごとIPO(株式新規公開)させたのである。

 ラザードのIPOは、彼が手がけた取引のなかでも、きわめて複雑な類のものであると指摘する人が少なくない。ワッサースタインは事実、この案件の詳細を記した9巻に及ぶ記録文書をひときわ目立つよう、ニューヨークにある広々したオフィスに飾っている。このIPOも大型案件(ビッグ・ディール)だったとはいえ、彼の数十年にわたる交渉人人生のなかの一案件にすぎない。

 ハーバード・ビジネススクールおよびハーバード・ロースクール、ケンブリッジ大学の卒業生であるワッサースタインは30年以上にわたり、交渉とM&Aの世界で一目置かれる存在であった。

 彼が、クラバス・スウェイン・アンド・ムーア法律事務所の弁護士として、1970年代から80年代の大部分はファーストボストンのM&Aプラクティスの共同責任者の一人として、80年代末から90年代にはインベストメント・バンキング企業であるワッサースタイン・ペレラ・グループのCEOとして、そして現在はラザードの会長兼CEOとして携わった案件は1000件を超え、その合計額は数千億ドルに達する。

 ラザードが取りまとめた買収案件の総額は、2006年(いまやちゃんとしたデータが入手できる)で3000億ドルを超える。この数字はまさしく巨額であるが、より重要なことは、その背後にはさらに巨額の価値が存在していることだ。

 HBR誌の編集長(当時)であるトーマス A. スチュワートとシニア・エディターのガーディナー・モースは、ワッサースタインに長時間のインタビューを試み、彼が経営者として、またディール・メーカーとして、またCEOの相談相手として、どのように価値を創造してきたのかを明らかにする。