エンド・ゲーム戦略が必要になる時

 1948年、「トランジスター効果」が発見された時、テレビ用真空管が技術的に時代遅れになってしまったのは言うまでもなかった。それから何年かして、トランジスター・メーカーは「1961年までには、家庭にあるテレビの半分が、真空管ではなくトランジスターを使用しているだろう」と予想した。

 したがって、真空管メーカーは50年代以降、「エンド・ゲーム[注1]」を戦っていたことになる。他産業でのエンド・ゲームと同じく、この場合も需要は減少し続けた。さまざまな条件から考えて、その産業が絶好調にあった時に導入された生産能力、あるいは参入した企業のすべてが、今後も必要とされる可能性は乏しかった。

 今日のように経済成長率が低く、技術が目まぐるしく変化する世界では、このようなエンド・ゲームに迫られる企業が増えていく。これは椅子取りゲームのようなところがあるため、残酷な結果になりかねない。

 ガソリン販売市場の悲劇について考えてみよう。73年から83年にかけて、原油価格が高騰し、消費者たちが節約を心がけたため、精油所の生産量はいっきに減少した。精製油への需要も供給もその先行きがよく読めなかったため、衰退のスピードやその度合いを予測することが難しく、また産業内にこの点に関する合意も形成されなかった。

 エンド・ゲームに参加している企業を見ると、どのように衰退していくのか、その不確実性への見通しやそのための戦術といった点で、まったく各社各様である。ベビー・フード産業のエンド・ゲームでは、需要が停滞するまで、10年間にわたって激しい価格競争が続いたが、ガソリン販売業者や精油業者も、市場が縮み続けているにもかかわらず、自社のシェアを奪われまいと必死になった。

 エンド・ゲームでは、痛みを伴う合理化によって産業全体の生産力は縮小し、その産業内の各社はこの冬の時代を、地道な努力によってしのぐことになる。当然、わずかな利益しか得られない時期が長く続いていく。

 ところが真空管産業の場合、エンド・ゲームの様相はまったく違っていた。トランジスターの商品化は、トランジスター・メーカーの予想に反して、なかなか進まなかった。最後の真空管テレビが製造されたのは74年であった。しかも、真空管の交換を必要とする電気製品がまだ膨大に存在しており、しかもこれらを求める人たちの価格感度は低かった。そのため、それなりの規模の市場が数年間保証された。

 83年になっても、一部の工場では、まだ真空管の製造が続けられていた。いずれ陳腐化することに疑問の余地はなかったが、衰退のペースが遅かったため、真空管メーカー大手6社は、需要に見合った供給を維持しながら、その過剰な生産能力を削減していった。