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孫正義という人物
孫正義ほど謎めいており、誤解されている人物はほとんどいない。孫は、日本のITコングロマリットであるソフトバンクグループの創業者であり、莫大な富を築いた経営者だ。しかし、日本や欧米のメディアでは、孫は夢想家であり、金融工学の使い手であり、大胆な投機家として描かれている。また、50年にわたるキャリアの中で何度も財務的な危機に瀕し、疑いの目を向けられる存在でもある。
孫の人生は、フォレスト・ガンプのように波瀾万丈に富み、近年のビジネス史のあらゆる重要な瞬間を通り抜けてきた。PCの登場から、インターネットの誕生、ドットコム・ブームとその崩壊、中国の台頭、世界金融危機、そしてAIの台頭に至るまで——。英国の著述家サイモン・ニクソンが、筆者による孫の伝記Gambling Man(未訳)の書評で述べているように、孫は「あらゆる人を知っているように見え、あらゆるものを所有しているか、少なくとも買おうとしているように見える」。
筆者は、孫の幼少期が彼のキャリアにどのような影響を与えたのか、また、東洋と西洋のリーダーが彼の経営者・投資家としての成功と失敗から何を学べるのかを理解するために、研究し、執筆することに関心を持った。ここでは、孫の経験から得られる8つの重要な教訓を紹介しよう。
逆境を武器に変える
孫正義は1957年、九州の貧しい集落に生まれた。在日韓国人夫婦の次男で、当時は差別を受けないように通名で暮らしていた。父親は密造酒製造販売業や養豚、ヤミ金融、そしてパチンコ店を営んでいた。
ごく幼少期から差別に遭ったが、孫は父の姿を見て、生き抜く術を学んだ。しかし、賭博の裏社会に足を踏み入れることなく、16歳で日本を離れ、カリフォルニアに留学した。それは彼にとって、自由を実感する経験だった。やがて帰国すると、ソフトバンクというソフトウェア販売会社を立ち上げた。それが未来のグローバル企業の基盤となった。
結婚し、娘が生まれ、さらにもう一人の子どもを授かろうとしていた24歳のとき、孫はB型肝炎と診断され、余命3〜5年と宣告された。しかし、新しい治療法のおかげで命を取り留めた。若くして数々の困難を乗り越えた経験は、彼に揺るぎない自信を与え、後に何度も訪れる企業経営の危機を乗り切る力となった。
孫は、常にアウトサイダーであり続けた。しかし、周囲に無視されることを許さないアウトサイダーだった。彼は、自身の「二級市民」として扱われた立場を強力な原動力に変え、逆境を乗り越え、グローバルなテクノロジー業界の頂点へと駆け上がった。そして、たとえ無名の存在として生まれても、一流の人物になれる(おそらく21世紀で最も重要なテクノロジー投資家にすらなれる)ことを、私たちに教えてくれる。