全力で働くか、完全に休むかの二者択一でよいのか

 ある職務で働く際に一般的に受け入れられている枠組みとは、その仕事をするかしないかである。その仕事をしている限り、全面的なコミットメントが期待される。全力で働き、よくいわれるように110%の力を投入しなければならない。さもなくば、たとえば病気治療のための休職やサバティカル休暇の取得など、完全に休むことになる[注1]

 多くの場合はこの枠組みで十分だ。しかし、それでは対応できないケースがたくさんある。初めて親となった後に復職はしたが、まだ新しい家族の生活リズムをつくれていない場合や、成人した子どもが突然に高齢者の介護を引き受けなければならなくなった場合、訴訟や健康の問題に直面した場合、大きなストレスをもたらすその他の要因がいくつも重なった場合などだ[注2]

 あるいは、たとえば演劇で主役に抜擢されたり、スポーツ競技会に出場したりすることになるなど、危機というよりはチャンスの到来がきっかけとなることもある。これらのような場合、時短勤務に変更してもらえるならば、どれほどありがたいことだろうか。

 筆者の研究[注3]は、指導教授でメンターでもあったクレイトン・クリステンセンにインスパイアされたものであり、彼の代表作に冠された「自分の人生を評価するものさしは何か[注4]」という問いにいかに答えるかをテーマとしている。私たちの時間と活力は、仕事、創造的計画、家族と過ごす時間、コミュニティ、健康、精神的関心事に対して常に配分や調整が行われるものと認識し、私はそれを、目的を持って選択した投資のポートフォリオと呼んでいる。

 筆者のモデルでは、人生における困難な時期に働き続けるか、あるいは、仕事から離れて完全に休職するかという二者択一を超えた選択肢を考える。この選択肢には十分な理由がある。働き続けることは、燃え尽きたり[注5]、従業員と組織の両方の健全性に長期的悪影響をもたらしたりする可能性を高めるが、他方で、休職するということもまた、組織のケイパビリティに対してであれ、従業員のエンゲージメントやキャリアに対してであれ、有害と判明する可能性があるからである。

 仕事とは、私たちが行う単なる一活動ではない。仕事はアイデンティティやパーパス、コミュニティに貢献するものだ。そして、最悪のシナリオでは、そのような休職が将来の成長機会を毀損したり[注6]、意図せずして完全な退職につながることすらある[注7]

 だからこそ、キャリアに「一時的後退」(ステップバック)という選択肢があってもよいのではないだろうか。