忘れ去られた本質

 リレーションシップ・マーケティングが流行している。マネジャーたちは口を開けばこの話題を持ち出し、これまでにない新手法であり、自分たちはリレーションシップ・マーケティングを日々実践していると公言してはばからない。一部の経営学者もわかったような口ぶりで、そのメリットを吹聴する。たしかに悪いという理由はどこにも見当たらない。

 この新しく効果的で、しかも顧客のニーズと嗜好を把握するマーケティング手法のおかげで、企業と顧客の間にはかつてないほど有意義なリレーションシップを築き上げることができると思われがちである。リレーションシップが深まれば深まるほど、コストは低減し、売上げは増加し、決算書の最後の行、つまり利益もよくなること請け合いというのだ。

 しかし残念ながら、よくよく調べてみると、企業と顧客とのリレーションシップは概してうまくいっていないのが実情のようである。顧客たちに意見を尋ねてみても、いわゆるパートナーである企業への賛辞は返ってこない。その代わり「市場は混乱するわ、ストレスはたまるわ、無神経このうえなく、いつもごまかしばかりだ」「我々はだまされかけている」「我々は食い物にされている」といった声がそこかしこから聞こえてくる。

「我々はリレーションシップ・マーケティングに力を入れている」と自負する企業は、いまだかつてないほど必死に顧客情報を収集して、あらゆる顧客のニーズや嗜好に合わせよう、考えられる限りのサービスを提供しようと懸命である。しかし、このやり方では顧客を喜ばせる結果とはならない。

 ショッピングについて少し考えてみてほしい。たとえば、電池1個を買うだけでも店員がやたらと質問してきたり、後をつけてきたりすることに我慢しなければならない。また、陳列棚は商品であふれかえって、まったくもって選びにくい。

 コンピュータやカメラを買う場合はどうだろうか。「新機能」と銘打たれ、次から次へと繰り出される新製品が所狭しに並んでいる。さらに「会員になれば特典サービスを受けられますよ」と、どこもかしこも顧客を囲い込もうとしつこく勧誘してくるばかりか、山ほどのサービスをいちいち取捨選択しなければならず、かえって面倒な思いをさせられている。

 アメリカ消費者の顧客満足度は常に低い。それどころか、苦情やボイコットが年々増えており、別のかたちで表される顧客の「不快指数」はうなぎ上りだ。しかも、まだまだ上昇しそうな勢いである。リレーションシップ・マーケティングが本来の役目を果たせなければ、遅かれ早かれ、企業業績は悪化することだろう。