オーセンティックなリーダーになる――性別や人種によって自分らしさを発揮する難しさは異なる
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サマリー:1922年の創刊以来、戦略、マーケティング、リーダーシップ、人材育成など、各分野で新たなコンセプトを提示し、世界のリーダーに読み継がれてきた『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)。その100年の歴史を踏まえ、「これからの100年」を生き抜くための普遍的な論点や考え方をセレクトしたのが、書籍『経営とは何か ハーバード・ビジネス・レビューの100年』だ。本稿では、本書より、働く女性にとってのオーセンティシティについて語られた『ハーバード・ビジネス・レビュー』のポッドキャスト番組『ウイメン・アット・ワーク』の内容を再編集して掲載する。

 オーセンティシティ(authenticity:自分らしさ)とは、意図と行動の間に矛盾がなく、自分のすべてを仕事に投入できているという感覚のことだ。しかし、仕事の場面でオーセンティックでありたいと願う女性は必ず障害にぶつかる。働く女性は、誰かの娘であり、母であり、姉妹であり、同僚であり、部下であり、上司である。これらすべての役割を調和させるのは容易なことではない。

 オーセンティックなリーダーシップについては、確立した明確な規範があるかのように論じられることが多いが、一人の生身の女性はさまざまな場所に身を置き、さまざまな役割を担っている。並列する複数の自己が存在する中で、どうすればオーセンティックであることができるのだろう。

 バブソン大学准教授のティナ・オピーが、働く女性にとってのオーセンティシティについて、『ハーバード・ビジネス・レビュー』のポッドキャスト番組『ウイメン・アット・ワーク』のホストであるエイミー・バーンスタイン、サラ・グリーン・カーマイケル、そしてニコル・トーレスと語り合った。

働く女性にとっての「自分らしさ」とは

サラ・グリーン・カーマイケル(以下サラ):以前、女性の同僚が自分の体験を話してくれました。上司から、「あなたには可能性がある。きっとマネジメント層にまで上っていけるでしょう。でも、そのためにはいまと違う服を着て、お化粧もしたほうがいいと思う」と言われたというのです。女性の上司だったそうですが、そんなことを言われて、すごく腹が立ったとのこと。このアドバイスは性差別的だと思いますか。

ティナ・オピー(以下ティナ):こうであってほしいと願う世界と実際の世界とを区別する必要があります。私はそんなアドバイスは聞きたくないし、口にしたくもありません。しっかり仕事さえしていれば、どんな服を着ても文句を言われない職場で働きたいと思います。私はそういう世界に住みたいし、そういう世界を実現するために研究し、学生を指導しています。しかし残念ながら、私たちが生きている現実の世界はそうではありません。

 私たちは、第一印象が物を言う世界、外見が人物評価と強く結び付いている世界に生きています。私たちは一目見た瞬間に相手をカテゴリーに押し込んで、無意識のうちに、「この人はプロフェッショナルな仕事ができそうだ」とか、「この人はできなさそうだ」といった判断を下しています。いったん後者に振り分けられてしまったら、自分は勤勉なプロフェッショナルで、しっかり結果を出せると認めてもらうために、他の人よりも努力する必要が生じます。とはいえ、どう頑張っても最初の印象を完全に打ち消すことはできません。

エイミー・バーンスタイン(以下エイミー):私は大学を卒業した時、ジーンズ2本、ボタンダウンシャツ3着しか服を持っていませんでした。その頃、母は広告会社の要職に就いてバリバリと仕事をしており、そんな私を見かねてか、ショッピングに連れ出してスカートとジャケットとブラウスを買わせました。スーパーマンの衣装を着せられていたとしても、あれほど居心地悪く、こんなのは私ではないと思わなかったかもしれません。

 母は、「バイスプレジデントになりたければ、そのような服を着なさい」とアドバイスしてくれました。新しい環境でオーセンティックであることの意味を理解していなかった娘に、ひとこと言わずにいられなかったのでしょう。私の母の言葉をどう思いますか。

ティナ:あなたのお母さんは、あなたに「制服」を着させたということです。制服を着たがる人はそう多くありません。そうしなくても自分はプロフェッショナルとしての仕事ができると、心の中で思っていますからね。

 ビジネススーツは制服にほかなりません。スーツの起源について研究したことがあるのですが、欧州の宮廷で始まった服装で、男らしさを強調するためにデザインされたものです。身分や階級を区別し、ある種の慎ましさを示すべくデザインされています。当初は赤や紫など鮮やかな色でしたが、やがて現在のネイビー、黒、グレーといった落ち着いた色にトーンダウンしました。

 あなたのお母さんのアドバイスもその延長線上にあります。制服を着るように勧めることで新しい世界を紹介し、折り合いをつけてほしいと願ったのです。会社や職場という新しい世界で、もしジーンズとボタンダウンのシャツで出勤していたら、そんな格好をしているのは自分だけだと気づいて恥ずかしい思いをしたことでしょう。

 いま私は、見ての通り、ジェギンス(ジーンズ風のレギンス)をはき、素敵な花柄のトップスを着て、お気に入りのイヤリングをつけて、髪はパフでまとめています。私の目標の一つは、この格好でCEOになれるような会社を経営することです。社員がこんな格好をしていても、プロらしくないなどと誰も言わないような会社です。もちろんビジネススーツが好きな人がいれば、スーツでも快適に過ごせるような会社にしたいとも思います。

エイミー:学生はよく服装のことで相談に来ますよね。採用面接に何を着て行くべきかという相談を受けたら、どんなアドバイスをしますか。

ティナ:もう卒業したのですが、かつてナディアという学生がいました。バブソン大学で職場でのオーセンティシティについてワークショップを行った時、「先生は髪をナチュラルにしているようですけど、私もナチュラルなヘアスタイルで職場に行ってもいいと思いますか」と聞いてきたんです。私は、ナディアが自分で決めるべきだと思ったので、考え方を導くような対応をしました。

「あなたは自分の自然な髪が好きなの?」

「はい、快適です。アフリカ系、ラテン系の女性として、気持ちがいいですね。職場でもこのスタイルのまま通せればいいんですけど」

 素敵だと思いませんか。彼女のナチュラルヘアは彼女のオーセンティシティやアイデンティティと結び付いているんです。

 私は続けて、「仕事はどういう方面に進みたい?」と尋ねました。

「法律の分野です」

「法曹関係の職場では、みんなどんな服を着ていると思う? どんな場面に遭遇することになりそう? あなたの考えを教えて」

「だいたい服装は保守的で、オーダーメイドのスーツを着ていると思います」

 男性の服装のことを話していると感じたので、すぐに女性の話に切り替えましたが、答えは同じでした。女性のビジネスウェアも、男性のビジネスウェアを模倣しているという現実から逃れることはできません。職場で女性が着る制服は、女性らしさや個性を隠すためにデザインされているということです。

 ここまでのやり取りで、私はまず、ナディアのオーセンティシティを支えているアイデンティティを確認しました。次に、法曹界のコンテクストを確認しました。ここからが難しいところです。明確な唯一の正解があるわけではありません。

 私は彼女に、異なる選択がもたらす異なる結果を予想して、比較する必要があると言いました。もし、オーセンティックな自分であるためには髪型が重要で、それを変えるのは自分の一部を捨てることであり、自分でも許せないほどの妥協だと感じるなら、ヘアスタイルを法曹バージョンに変えるのは賢い選択ではないでしょう。でも、法曹界の明確なコンテクストを考えると、髪型を変えずに面接に臨めば不採用になることも覚悟しなくてはなりません。

 もちろん、髪をストレートに変えて面接に臨むこともできます。アフリカ系の人々にとって、ヘアスタイルを周囲に「合わせる」というのは、髪をまっすぐにして、アフリカ性や黒人性の目に見える証拠を取り除くことを意味します。そうすれば採用してもらえるかもしれませんが、それで自分が嫌いになるようなら、そこは当人にとってベストな職場ではないということですね。

 2つの結果を比べて選択できるというのは、ある意味、特権的なことです。食べていくのに必要なお金がなければ、そんな選択をする余地はありませんから。髪をストレートにして、タトゥーを隠して、ピアスを外すしかありません。

「もう少し肌が白かったらいいんだけど」と言われることもありますが、肌の色はどうしようもありません。仮に何かできるとしても、費用が恐ろしく高くつくので、ほとんどの人はしようとは思わないでしょう。

 その一方で、名前をそれらしく変えることに抵抗のない人もいます。特にアジア系のコミュニティに多いようですね。「エイミーと呼んでください」などと言う生徒がたくさんいます。私は出生証明書に書かれている名前、親御さんから呼ばれる名前で話しかけたいのですが、本人にとって、それはアジア人であることの表明になって不快なのでしょう。

 職場や教室は、オーセンティックな自分を保つことができ、それを表現することが許される場であってほしいですね。同僚やクラスメートには、人を何かの型に押し込もうとせず、その人のオーセンティシティを支持してもらいたいものです。

ニコル・トーレス(以下ニコル):服装や外見のほかに、職場でのオーセンティシティと関係があることは何でしょう。

ティナ:コミュニケーションの取り方でしょうね。私は手をよく動かしながら話すので、エスニックすぎる、と苦言を呈されることがあります。好意的に受け止めてくれるクライアントからは、「なかなかのストーリーテラーですね」と言われたこともありますが……。要は、コミュニケーションのスタイル、話し方、アクセント、怒り方、見解の相違や対立点を明確化する方法など、すべてがオーセンティシティの重要な要素だということです。

 怒りを隠そうとする人もいれば、すぐに態度に出して噛み付く人もいます。私にとっては、怒りを表明することはオーセンティックな行為ですが、場面によっては、プロらしくないと見なされることがあります。

 上司や部下、あるいは同僚に向かって、自分がこんなふうに言っている場面を想像してくれますか。「ちょっと待ってよ、それは私が会議で発言したことじゃないですか。どうして自分のアイデアのような言い方をするんですか。理由を説明してください」

ニコル:私にはそんな言い方はできそうにありません。

ティナ:どうしてかしら。それを自分自身に尋ねてみてください。性格の問題もあるかもしれませんが、ことに仕事の場面では、自分を擁護するような言動、特にグループの前で自分を擁護するようなことは、好ましくないと判定されがちだからではないでしょうか。

サラ:オーセンティックなリーダーシップについては、誰もが幸せで気持ちよく働けるようなリーダーシップという文脈で語られることが多いように思います。部下に対して、自分の気持ちを隠さず遠慮なく話してほしいと言うリーダーは多いですが、それはあくまで、ハッピーな気分や元気で明るい振る舞いは遠慮なく持ち込んでちょうだい、という意味です。怒りや落胆を持ち込んでもいいという意味で語られていることは、まずありません。特に女性に対してはその傾向が明らかです。

ティナ:本当にその通りだと思います。女性が職場で怒りを表すと激しい逆襲を受けることがありますよね。その点について、イェール大学経営大学院のトリ・ブレスコールが、いくつか研究を行っています。

 その後、デューク大学フュークアスクール・オブ・ビジネスのアシュリー・シェルビー・ロゼットやハーバード大学ケネディスクールのロバート・リビングストンなどが、それには交差性(人種、エスニシティ、ジェンダーなど複数の差別の軸が組み合わさった抑圧状況)が関係している可能性があることを示す研究を行いました。たとえば、白人女性に比べると、黒人女性は職場で怒りを表現しても、あまり反発を受けないことが明らかにされています。

 私には、職場で怒りを表明すると即座に否定的な反応があることがまったく理解できません。私が言っている怒りとは、すれ違いざまに人を怒鳴り付けたり、罵ったり、物に八つ当たりするような怒りのことではなく、理由のある怒りのことですよ。怒りとは、不快感やいら立ちです。何かが間違っている、不当だという信号なのです。なぜそれを表現することが悪いのか、全然わかりません。

 もちろん、感情の表し方や、仕事の場にふさわしいマナーは重要です。特に現状では、女性はその点に気をつける必要があるでしょう。怒りを生産的に扱うことができる女性は、それだけで有利な立場に立てるかもしれません。

 皆さんは職場で怒ったことがある? その時、どう行動しましたか? 自分の席や部屋に戻って深呼吸した? 友だちに電話した? トイレに駆け込んで泣いたとか? 自分のことでなくてもいいので、怒りをうまく利用した例を見たことがあったら教えてくれますか。

エイミー:怒りが込み上げて泣いてしまったことが何度かあります。そんな場面を振り返ると、私の怒りには2種類あるような気がします。一つは、傷付けられたことで生じる怒り。「ひどい、あなたがそんなことをするなんて思ってもいなかった」というような怒りですね。私はこの種の怒りを扱うのが苦手です。「これは正当な怒り? 悪いのは自分のほうじゃない?」と考えてしまうのです。そんなふうに、ついつい怒りをやり過ごす理由を考えてしまうのですが、やり過ごさず怒りに対処すると、少し自分が成長したように感じられることがあります。

 それよりもっと頻繁に経験するもう一つの怒りは、チームメンバーが、私が頼んだ通りに仕事をしていなかった時に感じる怒りです。私はチームリーダーとしてオペレーションを任されているので、自分の指示が無視されたら怒ります。特定の誰かを叱ることもあります。もちろん、ほかの人がいない場所を選びますが。また、チーム全体の足を引っ張っているような怠慢に対しては、具体的に何が悪いかを指摘して強く怒ることもあります。時には、何も言えなくなるほど怒りが湧くこともあります。

ティナ:その話で興味深かったのは、何か理由をつけて、怒ることを自分に許しているという点です。仕事上のことだから怒ってもいい、言うべきことを言わなかったら会社にとってよくないから怒ってもいい、と自分に許可を出している点です。組織を救いたいという願いが女性にはある。そのためなら、怒りを表明して人と衝突することもいとわないという面が女性にはありますね。

 誰かが人を不当に扱うのを見た時や、自分の部下が不公平な扱いをされているのを見た時、女性はもっと明確に怒りを表現することができます。こっちを見なさい、私は怒ってるのよ、と言える。両手を腰に当て、相手をにらみ付けて、そんなことは許さないと言えるのです。

 ですが、自分自身が不当な扱いを受けた場合、怒りを表明する許可を自分に与えることはありません。個人的な問題として、怒りを自分の中に閉じ込めてしまうのです。

サラ:私はこれまで、キャリアのほとんどを『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)の編集部で過ごしてきましたが、HBRの文化は、怒りを表に出すことを歓迎しない文化でした。私は争いを避けるタイプなので、その文化は総じて苦痛ではありませんでした。とはいえ、仕事中に怒りを感じることはあります。年齢を重ねるにつれて、自分の怒りを素直に認められるようになってきて、ただ怒りが鎮まるのを待つだけでなく、どう対処すべきかを考えられるようになりました。

ニコル:女性は職場で感情を表に出しすぎないよう期待されていることと関係がありそうですね。何かに熱中しているということさえ、感情的だと受け止められることがあります。そんなふうに思われることは、男性よりも女性のほうが多いのです。

エイミー:率直さを恐れる傾向とも関係があると思います。私は時々、率直すぎると指摘されることがあります。礼儀正しさが重視される文化では、何かをはっきり言おうとすると怒っていると誤解されたり、無作法だと思われたりすることがあります。私にはニューヨーカーのDNAがありますしね。ティナ、あなたはどう思いますか。

ティナ:まったく同感です。組織は文化の影響を受けているので、組織が違えば、何がプロフェッショナルで何がプロフェッショナルでないかという考えも変わるでしょう。そのことは理解しておく必要があります。職場で自分をどう表現するかは、自分のオーセンティシティと深く関わっています。

 私は何事も包み隠さず率直に表明する家庭で育ちました。南部出身ですが、黒人家庭なので、南部特有の上品ぶった雰囲気とは無縁です。誰かが失礼なことをしたら、その場で面と向かって言わなくても、何日もそのことを話題にし続けたものです。自分でも面白いと思うのは、年齢とともに、歯に衣着せぬ率直な物言いをする女の子という評判が定着していったことです。母はそんな私に、「ティナ、ガツンと言ってやりなさい」などと言うようになりました。それが私の性格です。

 職場では、その率直さのせいで何度も痛い目に遭いました。なので、それを回避する方法を考え続けたものです。人から何か相談されたら、まずこう問い返すようになりました。

「本当のことを聞きたい? 私の本当の考えを知りたい? それとも、問題を穏便に収める方法を知りたい?」

 本当の考えを知りたいと言われたら、きちんと本当の考えを話します。職場のみんなはそんな私の性格を知っていて、そこを気に入ってくれているみたいです。

 私は、親切そうに見えるだけの事なかれ的な態度より、相手のためを思う率直な態度が高く評価されるような文化や職場は可能だと考えています。相手を傷付けたくないから本当のことを言わないというのは、相手が成長するために必要な、クリティカルなフィードバックを行わないということでもあると思います。

サラ:私はニューイングランド出身で、いわゆるWASP、白人でアングロサクソン系プロテスタントです。家族は考えや感情をありのまま表に出すほうではありませんでした。職場では、婉曲で当たりの柔らかい表現と、率直で明確だけど意地悪く感じられる表現を天秤にかけて、ああでもないこうでもないと考えることが多いです。ニコル、あなたはどうですか。

ニコル:とても婉曲な表現をする家庭でした。いつも感情を押し殺しているようなところがあり、悲しい時や怒った時は、心の中がぐちゃぐちゃになりました。感情を表に出す家庭ではなかったし、私も感情をあまり表に出さないほうです。

 働くようになって、多少は自分を表現するようになりましたが、メールなどではていねいな言葉使いを選んでしまいます。私にとって、人に何かを頼むのはけっこう勇気がいるんです。「あなたの考えを聞かせてくれますか」とか、「そうしてもらえると嬉しい」とか、儀礼的な書き方をするほうですね。

サラ:あなたはうちの会社で一番礼儀正しいわ。

ニコル:自分でもそう思います。感嘆符を使うのが好きなのも根っこは同じで、自分のポジティブなエネルギーを相手に伝えたいと思うからなんです。怒ったり、誰かに怒りをぶつけたりせず、人に何かを頼むことさえ遠慮しながら大人になる中で、私の性格が形成されていったんだと思います。

ティナ:ニコル、いきなりだけど、あなたは自分がアジア系だと感じていますか。

ニコル:ええ、感じています。

ティナ:ご出身は。

ニコル:フィリピンです。

ティナ:こんなことを尋ねたのは、アジア系に対して世間にステレオタイプがあるからなんです。職場では、アジア人は模範的なマイノリティとされていますよね。礼儀正しく、仕事をきちんとこなし、集中力もあるけれど、リーダー向きではないとも思われている。あなた自身はそんなステレオタイプを聞いたことがありますか。

ニコル:もちろん。それに関する研究結果を発表したこともありますよ。

ティナ:私もあなたのその研究は読みました。アジア系の学生が必ず遭遇する問題なので、それを踏まえて、何人かの学生にカウンセリングも行いました。そこで尋ねたいのですが、あなたは「自分はあまり感情的な人間ではない」と言ったけれど、それは感情があまり動かないということですか。それとも、感情を表に出したくないということですか。

ニコル:感情がないわけではありません。いろいろ感じることはあるけど、それをどう表現したらいいのか、何を表現するのが適切なのかがわからないという意味です。無意識のうちに、その疑問に囚われているのだと思います。

 文化や家庭の規範が私に指し示した方向性は、いまの私の期待や将来の見通しとはまったく違います。職場で昇進を目指したり、人の上に立ったり、主張を通そうとしたりすることなど、子どもの頃の私はこれっぽっちも期待されたことがありません。しっかり勉強して、口答えせず、よい成績を取って、よい会社に就職して、騒ぎを起こすなと教え込まれて育ちました。

ティナ:私たちはみんな文化の中で育ち、文化を背負っています。職場に入れば、オーセンティシティを保ちながらそこに居場所を見つけ、キャリアを切り拓いていかなくてはなりません。感情を表現したいけれど方法がわからないということなら、方法を見つける努力をする必要がありますが、強制されて感情を表現しなくてはならないと感じるなら、それもオーセンティックとはいえません。

エイミー:ロンドン・ビジネススクールのハーミニア・イバーラが、HBRに「『自分らしさ』が仇になる時」(注)という素晴らしい論文を寄稿しています。その中で特に共感したのは、自分のオーセンティシティを考える時は、さまざまなペルソナを試して、自分にとってどのペルソナがしっくり感じられるかを確認すべきだという指摘でした。

 特にキャリアの初期段階にある人は、その必要があると彼女は述べています。大学を出て数年しか経っていないような若い人は、どんな職場でも成功することが約束されているわけではありませんからね。学び、成長し、いろいろなことにぶつかりながら、自分にとって正しい道を見つけなくてはならないというわけです。ニコルはこの考えに共感できますか。

ニコル:同感です。彼女はその論文の中で、オーセンティシティをあまり厳密に定義しないほうがいいと書いていましたね。それに関連すると、私が知りたいのは、オーセンティックではないという状態と、自分にとっての安全地帯から押し出された状態の違いは何か、ということです。職場で成長してリーダーになるためには、安全地帯から一歩踏み出す必要がありますから。

ティナ:私にとってオーセンティシティとは、「一番自分らしい自分を生きる」ということです。ところが、本当の自分は家に置いておけ、誰もあなたの本当の姿なんか見たくない、不快になるに決まっているから、というような結論を述べている研究報告もあるわけです。まあ言いたいことはわかるけれど、それは私の言うオーセンティシティではない。

 私だって、運転している時、乱暴な運転をする車にヒヤリとさせられたら腹を立てるし、呪いの言葉を叫ぶことだってある。それが真の私だという考え方もあるけれど、私はそうは思いません。単に、ストレスやプレッシャーにさらされた時の私にすぎないのです。自分を振り返る時間があり、落ち着きを保てている時は、そんな反応はしませんよ。それは私が大切にしている生き方ではないし、私の価値観とも一致していない。

サラ:仕事の場面に当てはめると、たとえば、女性が会議で自分の意見を通すために使うとよいとされるコミュニケーションスタイルがありますよね。「絶対にこれがいい」などと言うのではなく、「こういう方法もありますが、どう思いますか」と言え、というような類いです。自分の意見を採用してもらうために、意識的に話し方を変えるというのはオーセンティックではないですよね。

ティナ:職業カウンセリングやアドバイスの中には、女性だけではなく、男性も含めてすべての人にとっての効果を期待しているものもあるので、その種のアドバイスをどう評価するかは判断が難しいかもしれません。

 しかしたしかに、そうしたアドバイスの中には、暗黙のうちに支配的な文化への同化を迫るものがありますね。大きな声で話せ、断定的に言い切れ、強い口調で話せ、立ち上がれ、腕を広げて体を大きく見せろ、話の流れを仕切れ、堂々と振る舞え、といった類いですね。こういうものは、ロッカールームで檄を飛ばすフットボールのコーチのためのアドバイスであって、職場の会議室で発言する時のアドバイスではありません。
柔らかい口調で話す人の考えを無視するような会社は大丈夫なんでしょうか。賛否の両側に存在する重要な論点を整理できる能力は不要なのでしょうか。大きな声で断定的に話す人だらけの職場なんて、こちらから願い下げです。

 私たちは女性に対して、つい「もっと低い声で話したほうがいいわよ」などとアドバイスしがちですが、それは事実やアイデアを伝えるうえで本当に必要なことでしょうか。自分の考えを伝えるのに特定の発声方法が必要なのでしょうか。

エイミー:話し方と服装には、オーセンティシティとの関係において何か違いがありますか。

ティナ:大事なポイントですね。直接の答えにはならないかもしれませんが、自分にとって譲れないオーセンティシティの一線がどこにあるかを見極める必要があると思います。どうすればオーセンティシティを失うことなく立派な仕事ができるか、です。

 私は、怒っている時や疲れ切っている時以外は、言葉にそれほど南部訛りは出ていないと思います。南部訛りは学業や職業での成功を妨げると考えた両親が、訛りを出さないように子どもを育てたからです。では、南部訛りで話せば、私はもっとオーセンティックだということになるでしょうか。それはわかりません。私は自分からすすんで南部訛りを消そうとしたので。でも、髪をほぐすのは絶対に嫌です。つまり、私にとって譲れない境界線はそこかもしれません。

サラ:オーセンティックであれという期待や、そのオーセンティシティの中身は、同じ女性でも人種によって違うのでしょうか。

ティナ:私は女性のヘアスタイルについて、キャスリーン・フィリップスと共同研究を行ったことがあります。特に、職場のドレスコードに反するヘアスタイルの女性が被る不利益について調べました。

 なぜヘアスタイルを研究したかというと、その気になれば比較的簡単に変えられる特徴である一方で、アイデンティティと深く関わっているからです。私自身、企業社会の米国で働くアフリカ系女性として、クライアントが嫌うかもしれないからそのヘアスタイルは避けるべきだという助言や指導を、これまで何度となく受けたことがあります。
私たちが行った実験は、同一人物に異なるヘアスタイルをしてもらい、その写真を見た人がどんな印象を持つかを調べるというものでした。アフロやドレッドヘアなどアフリカ系のヘアスタイルにすると、自然なストレートのヘアスタイルの時より、プロフェッショナルらしくないと判定される傾向が明らかでした。そう判定される傾向は、黒人女性でも白人女性でも同じように存在することが確認できました。

 しかも、写真を見て判定する側の人も、人種に関係なく、アフリカ系のヘアスタイルを否定的に評価する傾向がありました。それどころか、アフリカ系の人々のほうが、アフロやドレッドヘアを否定的に見る傾向が強かったほどです。内集団バイアス(自分が所属する集団のメンバーを肯定的に評価する心理的傾向)が逆の方向に働いているのかもしれません。

 この結果を見て、「黒人は自分自身を嫌っている」という結論に飛び付く人がいましたが、その点はさらに掘り下げた研究が必要です。現時点ではもちろん、そんな断定はできません。たしかに、黒人の中に、ある種の内向する人種差別があるのかもしれませんが、黒人は職場でうまくやっていくための印象マネジメントのテクニックを常に考えているから生じた差異かもしれません。

 実際、黒人の実験協力者に、「写真の女性がこれから採用面接に臨むとしたら、どんなアドバイスをしますか」と尋ねると、ストレートヘアの女性に対しては髪型について何か言う人はいませんでしたが、アフロやドレッドヘアの黒人の写真に対しては、「ヘアスタイルを変えたほうがいい」「髪をまっすぐにしたほうがいい」「自然な髪にしたほうがいい」という回答が返ってきたことからも、その可能性はあると思います。

 そういう回答をした人は、たぶん自分も職場でそんな忠告をされたことがあるのでしょう。そんな忠告をする人は、髪を自然に見せかけるためのストレートパーマにどれほど時間がかかるか知りません。それは勤務時間外にする無報酬のシャドーワークのようなもので、多くの問題が隠されています。社員がそんなことに感情や時間を使う必要がなく、仕事に集中してくれるなら、会社も上司もそのほうがいいのではないでしょうか。

 アフリカ系の人間は仕事への集中力に欠けるわけではない。同じ仕事をするのに余計な労力を使っているのです。だいたい、ヘアスタイルと仕事に何の関係があるのでしょう。雇用と関係がありますか。

 ここで問われているのは、何がプロフェッショナルで何がプロフェッショナルでないかという文化的な理解です。組織は真剣にみずからの姿勢を反省しなければなりません。採用され、配属される仕事も内示されていたのに、ドレッドヘアをやめないという理由で採用を取り消された人が訴訟を起こしたケースがあります。ヘアスタイルを顧客が嫌うかもしれないという当て推量で、いったんは適任だと判断して採用した人を解雇するなどということが許されていいわけがないでしょう。

「清潔さを保たなければならない」という文句のつけようがなさそうなルールでさえ、議論の余地があります。週に一度しかシャワーを浴びない文化で暮らしている人が、1日に最低1回、何なら2回浴びることもある文化の職場で働けば、周囲の人はもしかしたら体臭が気になるかもしれません。週に1回のシャワーで暮らす人は不潔なのでしょうか。彼らの文化の中では彼らは清潔です。しかし、私たちの文化では清潔とはいえません。私たちはその人にどんな行動を期待すればいいのでしょう。何をどう伝えればよいのでしょうか。

 私にはその答えはわかりませんが、私たちは、プロフェッショナルとは何かという文化的な問いと誠実に向き合う必要があります。それを無視して、仕事と関係のない規則を、それが社員に与える影響を考えることもなく就業規則に載せ続けることは許されません。もはやそんなことが通用する時代ではないのです。

ニコル:私が鼻にピアスをした時、母は気絶しそうになりました。「そんなので仕事に就けるわけがないでしょう」と母は叫びました。鼻ピアスを禁止するようなところでは働きたくないと思っていたので、私はそれでもかまわないと思いました。これはミレニアル世代に特有の態度なんでしょうか。働く場所の選り好みができるのは特権的な境遇だと言われればその通りでしょうけれど、私は若い世代に共通するメンタリティなのかなと思います。

ティナ:どの世代にも反抗心はあります。たとえば、ピンストライプのスーツなのに黄色のソックスを履くとか、テーラードスーツを着ているのに腕の見えない場所にタトゥーを入れているとか。あるいは、髪を束ねて目立たなくしているけれど、本当はドレッドヘアだとか。誰もが何かしらやっていることがあるんじゃないかしら。型にはめられることに反抗するのは、人間の本性だと思います。どの世代も、自分たちの世代が一番反抗的だと思っているのではないでしょうか。

 ただ、もしあなたが黒人で、女性で、ドレッドヘアで、鼻にピアスをして、髪をピンクに染めていたらどうでしょう。職場は受け入れてくれるでしょうか。1つや2つなら反抗心を貫けても、すべて自分流を通して周囲にまったく合わせないというのは通用しないでしょう。

サラ:女性が本当にオーセンティックなリーダーになることは可能だと思いますか。

ティナ:可能だと思います。自分を正直に表現し、職場に浸透させたい価値観をみずからが体現し、良いことも悪いことも仲間と共有できる女性であれば、オーセンティックなリーダーになることは可能です。

 問題はオーセンティック・リーダーシップの定義です。何をもって「オーセンティック」とするかは、論点や論者の価値観によってさまざまです。オーセンティックとは、正直で隠し立てがないという意味でしょうか。妥協せずに最高の自分を追求するということでしょうか。あるいは、部下が正しく意思決定できるように、部下の考えを理解しようと努めることなのでしょうか。いずれであれ、女性がオーセンティックであること、そしてオーセンティックなリーダーになることは可能だと思います。

 女性がオーセンティックなリーダーになるのに、何か特別な資質がなければならないと言うつもりはありません。ただし、簡単ではない。オーセンティックであること自体、権力がなければ難しいからです。時給で働いている人は、ドレッドヘアをやめてエプロンを着なさいという上司の命令に逆らうのは厳しいですよね。

 女性に限った話ではありませんが、誰もが簡単にオーセンティックでいられるわけではないことや、オーセンティシティを保つうえで権力の有無が影響することに、私たちはもっと敏感になる必要があります。

【注】
Herminia Ibarra, “The Authenticity Paradox,” Harvard Business Review, January-February 2015.(邦訳「『自分らしさ』が仇になる時」『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2016年2月号)


ティナ・オピー(Tina Opie
オピー・コンサルティング・グループ創業者。

聞き手=
エイミー・バーンスタイン(Amy Bernstein

『ハーバード・ビジネス・レビュー』エディター。

サラ・グリーン・カーマイケル(Sarah Green Carmichael
『ハーバード・ビジネス・レビュー』エグゼクティブエディター。

ニコル・トーレス(Nicole Torres
『ハーバード・ビジネス・レビュー』アシスタントエディター。


“Lead with Authenticity: An Interview with Tina Opie,” Women at Work (podcast): Season 1, Episode 3, February 9, 2018.

『経営とは何か ハーバード・ビジネス・レビューの100年』

[編]ハーバード・ビジネス・レビュー編集部
[訳]DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部
[内容紹介]1922年の創刊以来、戦略、マーケティング、リーダーシップ、人材育成など、各分野で新たなコンセプトを提示し、世界のリーダーに読み継がれてきた『ハーバード・ビジネス・レビュー』。その100年の歴史を踏まえ、「これからの100年」を生き抜くための普遍的な論点や考え方をセレクトし、お届けする。

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