100や200のテーマに同時に目を向けて、それが全部人の役に立つアウトプットとして出てくるということは超人でもない限りありえません。生産能力が100個しかない工場に1万個分の部品を持ち込んでも、情報が過剰在庫になるだけです。生産する予定もつもりもない製品のために、せっせと部品の供給を受けて喜んでいるだけであれば、それは趣味です。本来であれば、どうぞ家でやってください、仕事場には持ち込まないでください、という話なのですが、現実には生産ラインに乗らない部品の在庫を無意識のうちに抱え込んでいる人が世の中には多いようです。
その典型的なパターンが、「とりあえずの調査」。達成すべき成果、生み出すべきアウトプットの明確なイメージなしに、漠然としたテーマに向けてまずは調査しようとする。インターネットやITを駆使して膨大な情報を収集して分析するのですが、途中で何のために何をやっているのかわからなくなり、挙句の果てに何のメッセージもない調査レポートが出てくる。
こうした不毛の調査分析が横行しているのは、一昔前と比べて、情報収集や調査のコストが極端に低下しているからです。20年前までであれば、一つの情報を手に入れるだけでもわりと努力と苦労を要しましたから(僕が学生のころは公開されている雑誌記事情報であっても、図書館に行って「雑誌記事目録」とかいう異様に分厚い電話帳のようなものを引きながら、図書館の中を駆けずり回って雑誌のコピーを取らなければなりませんでした。同じ仕事がいまであれば一万分の一の労力でできます)、よくよく考えてとるべき情報を取捨選択しましたし、そもそもアウトプットにとって意味のない情報は極力とらないようにするということに注意を振り向けたものです。
あらゆる仕事はアウトプットを向いていなければなりません。本当に自分が達成したいと思っているアウトプットがあり、それが注意のフィルターとなっていれば、あらためて膨大な情報を精査しなくても、本当に大切なことはだいたいわかっているものです。すでにカギとなる情報は頭の中にインプットされているわけで、すぐにアウトプットの生産ラインを動かすべきです。
それでもどうしても足りなければ、アウトプットにとって必要な情報がはっきりしたところで、それを取りに行けばよい。情報のインプットを増やしていけば、自然とアウトプットが豊かになるということは絶対にありません。情報と注意のトレードオフを考えると、情報の増大は仕事の友であるどころか、わりと悪質な敵なのです。