権限が自分になければ上司を動かすほかない

編集部(以下色文字):ジョン・ガバロとジョン・コッターが提唱した「ボスマネジメント[注1]」は、上司と円滑な関係を築き、会社の方針も理解したうえで、自身や上司、会社にとって成果を最大化できるよう協働するアプローチです。橋本会長がこれまで多くの上司に仕えてきた中で、若手の頃に心がけていたのはどのようなことですか。

橋本(以下略):私が部下の立場であった時に「上司とうまく付き合う」という発想は、まったくなかったですね。当然、私も上司から見てかわいい部下ではなかっただろうと思います。では振り返ってみて、私が何を考えてどう行動していたか。

 まず、会社は本来こうあるべきだ、こうすべきだ、という考えがある時に、それを実現する権限が自分になければ上司を動かすほかありません。そして、直属の上司がそれに足る人物かを見極める必要があります。仮に、会社の戦略はこう変えるべきだと直属の上司を説得できたとして、その人がさらに上にいる上司を説得できるかというと、ほとんどの場合はそうではないからです。

 だったら、自分の「上司」を直属の人だけに限定せず、誰がこの問題を動かせて意思決定できるのかと考えてみる。とはいえ、自分の直属の上司を飛び越えていけば、組織内ですぐにわかりますから、自分に自信がないとできませんし、万一の場合はペナルティを受ける覚悟が必要です。サラリーマンであっても、リスクを取らないと大きなことはできません。

 ただ、そうはいっても上司が味方になってくれたほうがいいに決まっています。それには、上司から「こいつに任せよう」と思われる存在にならないといけない。直属の上司の上にもさらに上司がいるわけですから、まずは自分の直属の上司がその上長たちに何を求められているかということを理解する。それができれば、信頼を得ることはそう難しくないはずです。だから自分がたとえ末端であろうが中間管理職であろうが、少なくとも2段階上のクラスの目線で物事を捉えて考える。たとえば私が日頃よく部長クラスのリーダーたちに言っているのは「社長の頭で考えろ」ということです。

 仮に仕事に対する意見を言って対立が生じたとしても、しょせんは意見の違いにすぎません。それを人間関係にまで持ち込んでしまいがちなのは、日本人の悪い癖です。上司と部下であれ、同僚同士や社外の取引先との関係であれ「あいつは気に食わない」からと人間関係に持ち込むべきではありません。「かわいくない」と評価を下げたり昇進を見送ったりするようなことも厳に慎むべきです。お互い会社や業務によかれと思って意見を言っているのであって、職位に関係なく数字とロジックで戦えばいいだけのことです。

 上司とぶつかった時、本人に能力がなければそれで終わりですが、能力があっても使いづらいと思われた時は、より面倒な部署に異動させられることもあるでしょう。そういう部署は、会社にとって大切だけどややこしい仕事が山積していたり、ライバルが少なかったりして、実は活躍の場が多いものです。ですから、上司とぶつかるというのもけっして悪いことだけではないと思っています。

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「左遷」も結果的には大変よいことだった

 実際に、橋本会長も1990年代半ばに上司と衝突して、主力の国内営業部門から当時は傍流ともいわれた輸出部門に異動になったそうですが、どのように受け止めましたか。

 1990年代に韓国や台湾から安い輸入鋼材が日本市場にどんどん入ってきたため、「彼らと戦うのか、譲るのか」で社内の意見は割れていました。この競争の構図は欧米の鉄鋼市場で先行して起こっていたことでしたから、譲ればさらにシェアを取られるだけだと考えた私は、コストを下げるか品質を上げるかして戦うべきだ、と主張して大激論になりました。

 結局、私の主張と逆の路線に進むこととなり、このまま橋本を国内営業に残せば、それに同調する人が出てきて面倒だと思われたのでしょう。三十数年前には異例の人事でしたが、国内営業から輸出の部門に異動することになりました。

 周りからも「左遷」と言われましたけれど、結果的に、これは私にとって大変よいことでした。それまで日本国内しか見ていなかったのが、世界市場を勉強する機会になり、商談のために50カ国以上を訪れることができました。先進国から新興国まで需要も商売の仕方もさまざまでしたが、一つだけ共通点がありました。それは皆「経済合理性」で動いている、ということ。重要なのは、やはり数字とロジックなのです。

 日本では需要が減少する局面に入っていたので、同じ品質ならなるべく安いものが買われました。日本の顧客が気にされていたのも、競合相手との価格の違いだけです。しかし、需要が急増している新興国でその論理は通用しません。彼らは「なるべく安く」買うのではなく「半年後の市況を教えてくれる」相手から買います。というのも、需要が右肩上がりとはいえ単価は上下するので、いま買って最大限の在庫を持っておくべきか、もう少し待ってから買うべきか、自社の収益を最大化するために正しいサジェスチョンをくれる人から買うのです。

 となると、輸出部門における営業の勝負は、商社をはじめ社外にネットワークを張って世界中のマーケットの動向について分析・予測をし、顧客のエリアの市況がどうなるかを伝えられるかにかかっていました。ちょうどアジア通貨危機も起こって、それまで主力の輸出先だったアジア市場に売れない状況になり、中南米や中東などの新興国市場を開拓したりもしました。日本のように縮小する市場は「小さな算盤」で動いているのに対し、世界は「大きな算盤」で動いているのだなと実感しましたし、部下たちには「地球儀を回して売れるマーケットを考えろ」と発破をかけていました。そんなふうに日本では経験できなかった成長市場を肌で感じることができたのは幸運だったと思います。

 また、新興国市場を開拓するには政治動向も常にウォッチしておく必要がありますから、各国の要人たちとの人脈を築くこともできて、それは私の財産になっています。この時期に得た知見は、いまのグローバル戦略において大勝負をすべき時か否かを考えるベースにもなっています。おそらく、たまたま上司と喧嘩をしなければ得られない経験だったでしょう。だから、もし左遷されたと思っても落ち込むことはありません。私を輸出部門に飛ばしてくれた上司とは、いまでも会って話をしますよ。

 同じ頃、さまざまな部門の後輩なども集めて通称「橋本塾」と呼ばれる勉強会を主催していたそうですが、どんな内容でしたか。

 部長になるぐらいまでですかね。営業部門であろうと技術部門、研究部門であろうと「会社はどうやって儲かるのか」という損益の原理原則がわからないといけませんから、ベストセラーにもなっていた会計書の名著『人事屋が書いた経理の本』(協和発酵工業、ソーテック社)を教科書にして皆で学びました。そのうえで、営業のポイントなどを共有して議論するといったこともしました。

 そして室長クラスの頃は、さまざまな部門にいる職位の近い仲間で終業後に集まって、よく議論をしていました。八幡製鐵と富士製鐵が1970年に統合して発足した新日本製鐵(その後に住友金属工業とも統合して、日本製鉄の前身である新日鐵住金が誕生)は長らく鉄鋼生産量で世界一でしたが、2000年代は欧州のアルセロール・ミタルや中国宝武鋼鉄集団を筆頭とする中国勢の台頭を受け、ポジションが低下していった時期でした。その頃の社内は部門ごとにタコつぼ化して会話もしませんでしたし、せめて互いに現状を共有して打開策を考えようとしていました。

 そもそも会社には「売る現場」と「つくる現場」があり、2つの現場が正しいことをやっていれば赤字にはなりません。たとえば売る現場である営業からすれば、A品種のコストは競合メーカーと同等だけど、なぜB品種のコストは負けているのか、といったことは、つくる現場である製鉄所で何が起きているのかを聞かなければ実態はわからない。そのほか、品質はいいのに商品力を理解せずに営業が安く売りすぎている、といったこともあります。そうした問題を是正していくには、売る現場とつくる現場の両者が対話をすることが必須です。対話が会社の力になるということは、当時も実感しましたし、両者に対話をさせることはトップの仕事でもあると、いまは考えています。

 というのも、「対話しろ」と言うだけでは真の対話は絶対に生まれないからです。対話の頻度や質を確認する必要があります。それには、トップみずからも各営業部長や各製鉄所所長たちと直接対話すべきだと考え、私も社長に就任した直後から、彼ら16人と2カ月に1回は必ず「いま、どうなっているんだ」「これはうまくいったな。これはちょっと遅れているな」と常に対話してきました。

ボトムアップかトップダウンかという議論はナンセンス

 2019年4月に社長に就任されると一気に構造改革を進め、5基の高炉休止をはじめ国内の粗鋼生産能力の2割を削減しました。同時に、インドの製鉄所買収やタイでの大規模投資、米国USスチールの買収など攻めの成長投資も矢継ぎ早でした。先ほどのような部門を超えた議論なども通じて、早いうちから会社の課題と対応策の青写真を描いていたのでしょうか。

 問題意識はかなり明確に持っていました。当社が世界一から陥落して長期低迷に陥った原因は主に2つあります。

 第1の理由は、トップが部分最適を許してしまっていたこと。大企業では部門ごとに仕事を最適化していくため、放っておけば、必ず部分最適に陥って総合力が低下します。各部門の従業員は、昨日、今日、明日と変化がないほうが楽だし幸せですよね。経営陣も、全体最適を実現するために組織を壊して人を異動させたり仕組みを見直したりといったことは、やらずに済むならそのほうがいい。ただし経営者は、競争環境が厳しくなっても社員とその家族がきちんと食べられるように経営することが仕事です。したがって、必要な改革であれば、抵抗があろうとなかろうと必ず遂行しなければならない。

 よく「リーダーシップはボトムアップとトップダウンのどちらがよいか」という議論があるようですが、私に言わせるとナンセンスの極みです。大企業にいる九十数%はフォロワーですから、多くは自分にとってよい結果をもたらしてくれるリーダーについていきます。ここで言う「よい結果」というのは、会社が繁栄して有名になり、自分の給料も上がり、お父さんやお母さんの働く会社として子どものお友だち皆も知っている、といった状態でしょう。トップはそれをやりきらなければいけない。

 ただ、改革というのは何年もかけていては皆疲弊してしまうので、最長2年が限界です。さらに当社の場合は、製鉄コストが膨れ上がっているのに安売りが続いていて、設備の更新投資も必要でしたから、当時のキャッシュアウトが2年以上も続いたら倒産するという差し迫った事情もありました。

 そして、当社が長期的に低迷した第2の要因は、ビジョンがなかったことでした。会社というのは、合理性と同時に成長を求める必要があり、守りと攻めの両方がないとダメです。合理性を追求して無駄をなくすことは必要ですが、合理化ばかり進めると、その繰り返しになって縮小していきます。よく「縮小均衡」といいますが、縮小し始めると均衡はしません。

 私が若い時、もう40年以上も前に担当していたトヨタ自動車さんは世界3位だった当時に「グローバル10」を掲げ、世界10%のシェアを取ることを目指していて、その後に実現されました。当社で言えば、2012年に新日本製鐵と住友金属工業が統合して発足した後、国内事業は筋肉質に合理化を進めてきましたが、同時にそれは海外に打って出るためにやるのだというビジョンがないといけなかったのです。

 橋本会長は「世界一の鉄鋼メーカーに復権する」ことを目標に掲げました。その悲願の実現は、USスチールの買収が完了して射程圏内に入っています。

 トップに就任して8年目になりますが、約2年後の2027年後半か2028年には明確に世界一が見えてきます。収益力では未曾有の厳しい環境下でも連結実力利益6000億円以上と世界トップ水準になったけれども、粗鋼生産量を上げるために設備をつくるには時間がかかります。自動車が2~3年だとすれば、鉄の場合はその倍以上かかります。いまグローバルの粗鋼生産量1億トン体制に向けて、設備投資を米国やインドで進めていて、欧州でもやります。これらの設備が稼働し始める頃には、中国の安値輸出も限界に近づいて落ち着いてくるでしょうから、確実に世界一になっているでしょう。

ストロングリーダーシップは自分の後は必要ない

 海外展開を一気に進めた結果、グローバルに急激な成長が見込まれます。先ほど組織の90%以上はフォロワーだという指摘がありましたが、橋本会長や、会長が逸材と評されている今井正社長兼COOのさらにその後、強力なリーダーシップを執れる人材はどのように育成されていますか。

 そういうスタイルは、私で終わるべきだと思っています。ここまでは、世界の鉄鋼業の環境変化がすさまじい中で、危機的な状況を脱して先手を打っていこうとすると、ストロングリーダーシップが必要でした。でも、おかげさまで皆も頑張ってくれて、一つずつ形になってきています。

 目下、社長の今井とともに特定の人材に頼らなくてもゴーイングコンサーンでやっていける事業基盤を築き、業務の標準化とともにデジタル・トランスフォーメーション(DX)の推進やAIの活用も加速し進めています。というのも、今後は日本においても、成長を目指す組織ほど起きるであろう人材の流動化に対応する必要があるからです。いまは当社も私を含めて新卒で入社した社員がほとんどですが、10年後はずいぶん変わっているはずです。

 人材の流動化に対応し、よい人材を確保するうえでは、仕事の世界標準化も課題です。たとえば、日本における素材産業のプライシングというのは独特で、鉄鋼業がそのモデルをつくったのですが、売り手がいくらと決めるわけではありません。日本の鉄鋼メーカーの国内営業は、商社のほか自動車会社や建設会社といった顧客との間に入って、顧客の需要予測に応じて価格や納期などを個別相談して調整するという、世界中を見渡しても他にない独特な業務の仕方をしています。ですから、他産業でトップセールスだった人が鉄鋼メーカーの営業本部長になっても、いきなり成果を挙げるのは難しいでしょう。

 営業はほんの一例で、こうした独特の商習慣や仕組みは意識的に変えていかなければなりません。すでに、長期契約を結んでいる大口需要家には適正な販売価格への大幅な是正をお願いしたほか、原料分野への投資を進めて、流通や二次加工を含めた国内グループ会社の再編も進めています。

 海外人材も登用していく必要があります。大卒の理系人材が日本では年間12万人しか輩出できないのに対し、中国は350万人、インドは200万人もいます。日本も早く手を打たないと米国のように製造業が空洞化しかねませんし、大卒の学生を育てていては間に合いません。

 仕事の世界標準化といえば、USスチールにも若手人材を送り込まれています。

 グローバル人材を日本で育てるのは不可能ですから、海外の修羅場に送って鍛えるしかありません。そのためにも、USスチールには一線級の若手を約100人送っています。彼らが海外で外国人と一緒に初めて仕事をして、それが3巡ぐらいして幹部になっていけば、外国人と仕事をするのが当たり前になっていくはずです。

 技術力というのは、技術者の数と質で決まります。かつては日本の鉄鋼業も、新しい製鉄所をどんどんつくっていく中で、技術者が勉強して技術力を伸ばしていきました。しかし残念ながら、日本ではもう50年以上、新しい製鉄所は建設されていません。もちろん、新しい商品開発や老朽化した設備の更新はやっていますが、それだけだと世界で戦える人材は育たない。

 海外展開を背伸びしてでも推進していくことには2つの意味があって、会社そのものの成長に貢献することと同時に、若手のグローバル人材の成長機会を創出できることがあります。国内事業をスリムに強靭化していき、捻出したマンパワーを需要が伸びる海外事業に投入していくというのが、当社の戦略の両輪です。

 そうやって海外で揉まれて成長してきた若手人材が、かつての橋本会長のように上司に積極的に提案したり意見をしたりした時、海外経験のないその上の上司の方たちは正しく判断できるのでしょうか。

 それは「任せる」しかないですよね。もちろん先輩たちも、商品を高度化したり設備をメンテナンスしたりという国内の経験は若手に伝達・指導できます。ただ海外で米国人やインド人、スロバキア人と仕事をするという点には、国内で日本人の同僚や取引先と仕事をすることとは本質的な違いがありますから、それは経験しないとわからない。だからこそ最優秀の人材を海外に送り込んでいますし、「こいつがこう言っているのだから」と任せるしかない。

 今回USスチールを100%子会社化したからこそ、最優秀の人材を送り込み、技術を移転することもできます。しかも伸びている市場であれば収益を積み増すこともできるわけですから、優秀な人材ほど伸びている海外市場に送ることが、まさに全体最適なのです。

難しい顧客や案件を動かすにも「大義」があるかどうか

「ボス」ではありませんが、ビジネスにおける「顧客」は、持ちつ持たれつでもあり時に利害が反する難しい相手でもあります。「顧客」との交渉では、どのようなことを心がけていますか。構造改革の途上では、重要顧客であるトヨタ自動車に対しても強気の価格交渉をするなど対峙しました。

 まず、理不尽なことは通りません。当社に利するだけでなく、大義が必要だと思います。価格交渉について言えば、日本は長年、「よいものを安く」というデフレの罠にはまっていましたが、これからは「よいものであれば高く」売らなければいけない。特に昨今の行きすぎた円安の影響により、国内で調達して最終製品を輸出する製造業はメリットを存分に享受できますが、その前工程ともいえる素材産業は原材料を海外から調達するため厳しい状況に陥りました。これをサプライチェーン全体で是正するには、特に大口顧客向けの価格を大幅に上げざるをえません。

 最初に提案に伺った時は抵抗も受けました。しかし、外部環境によるコストアップは必ず価格に転嫁していく流れになるから、産業全体ひいては日本経済全体の問題を先駆的に解決するモデルケースになりましょう、とお話ししました。実現するには、そういう大義が必要でした。実際、いまでは他の産業や中小企業と大企業の間でも、コストアップを価格に転嫁するのが当たり前になっています。

 同じく難しい相手という意味では、より複雑性の高かったUSスチールの買収[注2]においては、米国政府や地元コミュニティといった先方のステークホルダーのほか、自社の株主や、日頃から「一番大事」とされる従業員など、あらゆるステークホルダーの理解と後押しが不可欠でした。彼らを巻き込んでいくために、トップとして、どのように働きかけましたか。

 USスチールとの交渉も、当社だけの利益や、私が経営者として名を残したいといった私欲が目的なら、進まなかったはずです。最初から政治問題化するのはわかっていましたし、個別企業の力だけで解決はできませんから、日本の政府や財界、そして一般の方も含めて応援してもらえるかどうかは大事でした。

 USスチールの買収には、日本の鉄鋼業を復権させてもう一度世界に打って出る、そして日米合作で製造業復活のモデルケースになるのだ、という信念がありました。それが伝わったから、皆さんに応援していただけた。応援がなければ、この買収は実現しなかったかもしれません。

 やはり、大きなことや、前例のないことをやろうという時は冷静に、これが本当に自社の利益に留まらないものかどうかを見極める。そういう要素がないと成就しないのではないかと思います。

 もう一つ、大事にすべきは従業員です。ステークホルダーには株主や顧客なども含まれますが、私はその中でも従業員は特別だと思います。

「共存」と「共生」という、似て非なる言葉がありますね。たとえば、これまで人間はクマとテリトリーを分けて「共存」してきたけれども、クマがそのテリトリーを踏み越えてきたら、人間と「共生」はできないから駆除するしかない。ステークホルダーについて言えば、株主や顧客と会社というのは互いにメリットがあれば「共存」する関係性です。当社がよい商品をつくれなかったり配当が減ったりしたら、他へ行かれるでしょう。

 しかし、従業員は違う。会社と従業員は「共生」関係ですから、従業員が辞める以外には、ともに生きるしかありません。従業員が会社の立てた経営戦略を理解して、必死に働いてくれたら、結果的に業績が上がるよい会社になって、それは顧客にとっても株主にとっても喜ばしいことです。つまり、従業員こそが会社の企業価値の大部分をつくっていると私は考えています。

 だからこそ、会社は従業員を大事にしなければならない。大事にするというのはつまるところ、報酬を上げていくということです。儲かったら報酬を上げるのではなく、最初から上げないとついてきてくれません。賃上げは当社でも何百億円というコストアップになって実のところ重たいけれども、経営は重たいものを背負うほうが会社は強くなる。どうやって労働生産性を上げようかとさらに努力するからです。

 けっして綺麗事で「従業員を大事にする」と言ってほしくない。USスチールの買収について世の中の応援が必要だったと言いましたが、経営にとって大元となる「世の中」というのは従業員だろうと思います。

 橋本会長の座右の銘は、中国明代の儒学者である王陽明の言葉「事上磨練(じじょうまれん)」で、行動や実践を通して知識や精神を磨くことを大切にされています。最後に、ご経験をもとに次代を担うリーダーたちに向けたアドバイスと、上司として思わず協力したくなる部下の提案や言動とはどのようなものか教えてください。

 世の中が目まぐるしく動く時こそ、歴史は繰り返すものですから、歴史を学ぶ大切さを理解してほしいです。世の中の出来事はすべて、偶然ではなく必然として起こるものであり、必ず背景があります。いま目の前で起きていることの本質は何か、背景は何か。それが将来、自分の会社や自分の人生にどう影響するか。自分の頭で考える癖をつけてほしい。

 特に中国の古典『孫子』は約2000年以上前に成立した兵法書で、現在も世界中で読まれています。私も何十回も読みました。単に読むだけではなく、読みつつ、学びつつ、実践をすることが大事です。「事上磨練」は、私が若い頃から座右の銘としてきた言葉ですが、学びながら現実の課題に向き合い、その解決に取り組む中でこそ、人は本当の力を身につけていくという教えです。部下から提案を受けた際も、まず吟味するのは「自分の頭で物事を考えているか」「仮にこの提案が通ったら、みずから汗をかいて実行する覚悟があるか」という2点です。それらをクリアできていて、会社にとってよい提案であれば経営者として取り入れます。

 先ほども述べた通り、仕事を進める中で「売る現場」と「つくる現場」、そして上司と部下の間の対話こそが、会社をよくすることやみずからの成長につながります。そうした積み重ねによって、明確に問題を把握し、解決策を考え、周りを巻き込んで変えていく、そういうリーダーに成長できるはずです。

【注】
1)John J. Gabarro and John P. Kotter, "Managing Your Boss," HBR, January-February 1980.(邦訳「上司をうまく管理し、仕事の効率を高める法」1980年6月号、1993年9月号、改題「[新訳]上司をマネジメントする」2010年5月号2026年9月号
2)2023年に日本製鉄がUSスチールの買収を表明した後、全米鉄鋼労組が雇用喪失を懸念して反対したほか、2025年のバイデン政権からは対米外国投資委員会の審査を踏まえ、国家安全保障上の懸念があるとして買収禁止を命じられた。同年、トランプ政権の発足を経て、経営の重要事項(本社移転や社名変更など)に拒否権を持つ黄金株を発行するといった譲歩案を提案し、2025年6月に完全子会社化が実現した。

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橋本 英二(はしもと・えいじ)
1979年新日本製鐵(現日本製鉄)入社。2009年同社執行役員厚板事業部長・建材事業部長。2012年に新日本製鐵と住友金属工業が経営統合して発足した新日鐵住金にて2013年同社執行役員。同社の商号を2019年に日本製鉄に変更すると同時に、代表取締役社長に就任、2024年より代表取締役会長兼CEO(現任)。日本鉄鋼連盟会長や日本経済団体連合会副会長を歴任。熊本県出身。一橋大学商学部卒業。ハーバード大学公共政策大学院ケネディスクール修了。