不確実性が高いため、有効な戦略は立てられない――このような開き直りは、特に変化の激しいハイテク分野に顕著であるという。しかし不確実性は世の常であり、戦略も常に必要であるとマーティンは言う。


 企業の幹部に戦略について尋ねると――あるいは戦略が明らかに不在であることについて質問すると、彼らはこう答える。事業環境が非常に大きく変化しているから、戦略を立てられない、あるいは立てるつもりはない。効果的な戦略を立てられるほどの確実性がない、と言うのだ。

 これはハイテク分野でよく聞かれる議論だ。そこでは、こんなセリフがほぼ合言葉のようになっており、プライドや優越性の証しともなっている――「ハイテクの世界でものすごいスピードで走っているから、立ち止まって戦略を考えている暇などない。いずれ自然に現れてくるだろう」

 この言葉が暗に意味するのは、将来が確実な(確実であるように見える)大企業の退屈な官僚的人物だけが、戦略立案に取り組むということだ。成長企業はもっとほかに急いでやるべきことがあるようだ。

 これは非常に興味深いロジックだと思う。この議論はつまるところ、現在があまりにも不確実なので将来に関する戦略は決められないが、将来のある時点では状況が十分に確実になって、選択ができるようになる、ということだ。

 なぜ彼らがこう考えるようになったのか、私はとても不思議に思う。人生はいまも昔も不確実なものだ。もし今日、不確実で動きが速く不安定な世界を生きているなら、1週間後、あるいは1カ月後や1年後に状況が変わるだろうか。いまは選択が行えないほど世界が不確実であるなら、将来何が起こればもっと確実になるのだろうか。どこかの時点で、誰かが「世界が十分に確実になったので、戦略上の選択を行えるようになった」と宣言するのだろうか。どうすれば、その日が来たとわかるのか。どのような基準を用いて、必要なレベルの確実性に到達したと判断するのだろうか。あるいは、確実な時などいつまでも来ないから、永遠に選択を先送りし続けるのか。

 当然のことではあるが、ここで危険なのは、不確実性を言い訳に戦略上の選択を先送りし続けているあいだに、まったく別の競争が起こっているかもしれないということだ。競合が戦略的に動いて先行者利益を獲得し、市場に魅力的な選択肢があった場合、それを独占するようなポジションを取ろうとしているかもしれないのだ。

「不確実すぎて戦略を立てられない」と言う企業は、えてして、予想外の事態に不意を突かれたあとで文句を言う。そして起こった時にはすでに遅すぎて、何も建設的なことはできなかったと言い訳しがちである。失敗は自分たちの落ち度ではない。不確実な業界では自然にそうしたことが起こるものだ――。

 これは見事なセルフシーリング・ロジック(何をもってしても反証できない理論)で、リーダーをあらゆる責任から解放するものだ。このロジックを用いるリーダーは、経験から何も有益な教訓を学ばない。彼らには「自分の責任ではない」と言う論法があるので、みずからの行動を省みようとしないのである。そして、戦略を持っている企業に負かされて自社が破滅すると、別の企業に行って同じこと繰り返す。

 本当のところは、すべての企業が戦略を持っている。明示的に「戦略立案」をしてもしなくても、日々行う選択の結果、その企業はある分野で事業を行い(すなわち、「どこで戦うか」の選択を行い)、ある方法で競争をしている(「どうやって勝つか」の選択をしている)。その業界がいかに不確実であろうと、そこで競争している企業はすべからく戦略を持っているのだ。

 しかし、戦略立案の努力なくしては、数え切れないほどの選択を毎日一貫性なく行うというリスクを冒すことになる。部門間や職層間で矛盾が起こり、結局ほとんど意味をなさなくなるのだ。それにもかかわらず、リーダーたちは戦略への取り組みを怠り続けている。よりよい方法があると思っていないからだ。


HBR.ORG原文:Strategy and the Uncertainty Excuse January 8, 2013

 

ロジャー L. マーティン(Roger Martin)
トロント大学 ロットマン・スクール・オブ・マネジメント
学長。
著書に『インテグレ―ティブ・シンキング』などがある。