――それだけ人が入れ替わると、ビジョンを共有することは難しくなかったでしょうか。
いま目指す方向、ビジョンを共有しようなどと言うのは、簡単にできるものではありません。いろいろな人がいて、皆バラバラです。全員にわかってもらう必要はないし、全員にわかってもらえるとも思いません。
私は往々にしてかなり難しいことを社員に要求していました。そして、高いハードルでも、難しい理論でも、何度も何度も説明して、まずわかってもらうように心がけたのです。そうしていると、私の言っていることを理解して、動こうという意識と動作が見える人が出てきます。といっても、全体の2割もいませんが、まずはその人たちを、モデルにしたかったのです。
要求していることのハードルが高い場合、モデルになる社員がいなければ、ほかの社員もなかなかやってみようとは思えない。核になる人をまずは育てなければという意識で、組織改革に挑みました。まあ現実のところ、1つ1つを丁寧にやっている暇はなかったのですが。
――高い目標についてこられる人、ついてこようという動作を見せる人をピックアップしたということですね。これまでの経験よりもその時の熱意を優先したということでしょうか。
経験はすぐに古くなります。外部から人を採りましたが、前の職場でやっていたことと100%同じことを、うちの会社でするわけではありません。むしろ外から持ってきた知識などは、すでに陳腐化しつつあるものかもしれない。そしてその知識をそのまま使えば、しょせん二番煎じです。
何か全く新しいものをつくろうとしている時に、その経験はあまり意味を持たないのです。何かつくろう、新しいことを探そうとする意識のある人に、ポジションを与えて仕事をしてもらうほうがよいのです。
――お話を聞いていると、120年の伝統にはメリット・デメリットがあるように感じます。
いい意味での120年の伝統の自負、前向きにこれを伸ばしていこう、継続していこうという気持ちは大切です。また、過去に圧倒的な競争優位を築いた経験があり、そのDNAも持っている。これは大きな財産ではないでしょうか。
反対に、その伝統に胡坐をかく気持ちがでてくることはデメリットです。「俺は天下の仁丹だったんだ」、「買わない方がおかしい」というような感覚が出てきてしまう。成功体験があると、必ずこのような感情が出てくるのは止められない。メリットとデメリットは表裏一体かもしれません。過信とおごりは、自信とは大きく違うことを認識しなければいけません。
(つづく)
連載後半では、森下仁丹が現在取り組む事業について、お話を伺います。
後半は10月24日公開予定です。






