すべての戦略において
サムスンが凌駕していた
エレクトロニクス産業は、1980年代以降、一貫して日本のリーディング産業であり、日本産業の国際化の先陣を切ってきました。にもかかわらず、なぜ、90年代の半導体や2000年代のテレビ、携帯電話などでサムスンやアップルに連敗を繰り返しているのでしょうか。そもそも、海外への豊富な進出経験を持ちながらグローバル経営が定着せず、むしろ国内市場にこだわり続けたのは、なぜなのでしょうか。

テレビに関して言えば、地上波デジタル放送への対応が現在に至る大きな節目でした。海外(現地法人)からは、現地向けの製品開発やグローバル市場で勝てる製品づくりが再三要請されていたのに、「地デジへの切り替え」という巨大市場の出現への対応を優先せざるを得なかったのです。
また、そのために、のちにアップルとサムスンがし烈な法廷闘争を繰り広げるようになるデザイン革新や、人的投資ができなかった。知的財産が、競争力の重要なポジションを握るようになるとわかっていても、技術改善を優先してデザイナーの育成には及び腰でした。生産技術についても、世界は水平分業へ向かっているにもかかわらず、垂直型の自社生産へのこだわりを捨てることはができませんでした。
地デジへの注力は、経営判断としては間違っていなかった。しかし、世界の産業の構造的転換という底流への対応を大きく見誤っていた。それは、「デジタル化」への対応です。
ダイヤモンド・オンライン「東京理科大学専門職大学院イノベーションレビュー2013」第4回で、坂本正典教授は「現代のデジタル家電における品質や性能は、0か1しかなく、安物だから0.5ということはない」と指摘しています。長年、液晶や有機ELのモニターの開発に力を注いできた現場技術者ならではの卓見でしょう。
デジタル化という技術変化は、多くのエレクトロニクス分野を、手間暇のかかる擦り合わせが競争優位を決めるような「複雑な産業」ではなくしてしまいました。
サムスンは、半導体に次いでテレビや携帯電話でも日本のエレクトロニクスメーカーを窮地に追い込みました。日本メーカーが長期間にわたり円高に苦しめ続けられた一方で、サムスンがウォン安に助けられたのは事実ですが、価格競争だけで勝てたのではありません。製品開発力、設備投資力、デザイン力、各国の市場のニーズにマッチした商品戦略とマーケティング戦略、さらに知財戦略など、あらゆる面で本質的な国際競争力を形成するための努力が積み重ねられてきた。この戦略性において、日本のエレクトロニクスメーカーは負けたのです。
バブル崩壊後、日本の産業界には重要な教訓が残りました。「やはりアメリカ型一辺倒の経営ではだめだ。日本の事情にあった経営を軸に進めなければならない」というものです。
そのため、海外への生産拠点の移転や現地化などで効率化を目指す一方で、国内市場で鍛えられたモノは海外でも評価され、受け入れられると考えます。先述したイノベーションに対する「優れた技術で作られたものであれば世の中に広がる」という強い思いは、トラウマのように強化されました。
しかし現実は、国内の市場で鍛えられることが、海外では役に立たなくなっていた。特にエレクトロニクス分野では、それが顕著でした。
テレビの敗北とは、1つの原因によるのではありません。地デジ対応という目先の課題と、ビジネスに内在していた読み間違いが重なり、巨額赤字となって表出したのです。