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信頼の功罪
過去20余年にわたり、信頼は万能の潤滑油であり、経済を加速し、適切な人間関係を円滑化させるものとして重要視され、集団の利益に資するものと考えられてきた。
はやりのビジネス書を開けば、信頼の力や素晴らしさが称賛されている。学者たちは、信頼のさまざまな効用──とりわけ、明確な実績、信用に足る専門知識、しかるべきネットワーク内の名声に裏づけられている場合──を証明するため、研究に研究を重ねてきた。
そこに登場したのが、あのバーナード・マードフである。
「あの人柄と家柄、そして名声は、どこか人を信頼させるものがありました」
しみじみとこう語るのは、マードフにだまされた証券ブローカーである。マードフは、史上最悪の規模といわれる650億ドルものネズミ講詐欺を働いたことを認めている。
上辺だけを見る限り、マードフには、実績、経歴、専門知識、社交性と、何もかもが備わっていた。事実、あんなにもたくさんの人たちが、それも一流の金融専門家や企業経営者までもが、マードフを前にすると、すっかり安心してしまった。この事実を、我々は立ち止まって考えるべきである。我々はなぜ、いとも簡単に人を信じてしまうのだろうか。
あれほど大勢の目を欺いたのは、マードフが最初ではない。その証拠に、この10年間、エンロン、ワールドコム、タイコ・インターナショナルをはじめ、さまざまな企業スキャンダルが起こった。つまり、どのように人を信頼するのかに注目すべきではないか。