広義の「透明性」が要求されている

 アメリカでは、つい最近まで「投資家にどれだけの富をもたらしたか」という単純な物差しによって、企業経営者の手腕を評価していた。

 しかし、状況は一変した。グローバリゼーションとITによって複雑化した競争環境にあっては、急ピッチでイノベーションを推し進められるリーダーが必要とされる。また企業に対して、環境破壊や雇用創出、開発途上国の貧困といった社会問題への取り組みを期待する声が急速に高まっている。

 ウォールストリートでは、つい最近まで「臨機応変かつ短期的に考えることが成功をもたらす」とされていたが、昨今の企業業績の低迷と不祥事を受け、いまや時代遅れとなった。

 当然のことながら、企業リーダーの手腕を見極める新しい方法が求められている。先読みすれば、その尺度は、おおむね「経済、倫理、そして社会の面で持続可能な組織に向けた貢献度」というものだろう。

 どうすれば、このような高邁な仕事をまっとうできるのだろうか。言うまでもなく、そのためのアクション・プランは、業界の特徴、各企業の特性、直面している課題によって異なる。ただし、どのような戦略や戦術を実行するにせよ、賢明なリーダーたちはその第一歩として、「透明性」に取り組むことだろう。

 透明性と言う時、一般的には財務情報の開示を意味するが、我々はより広義に解釈している。このように公正な態度ももちろん重要だが、このように狭義に解釈すると、コンプライアンス(遵法義務)に偏りすぎてしまい、等しく重要である倫理がなおざりにされる。また、株主の要求に目が向きすぎると、それ以外のステークホルダーのニーズが軽んじられる。

 さらに性質の悪いことに、「ガラス張りの情報公開は、株主に対するもので、社員のためではない」という狭量な前提に立っている。みずから(すなわち社員たちに)に正直でない組織が、社会において公明正大な存在になれるはずがない。