都市そのものはデザインできないが
「都市システム」ならデザインできる
――その2つの授業から、その後の「循環思考」や「社会システム・デザイン」の考え方が生まれていったのですか。
社会システム・デザインをどのように思いついたのかは、自分でもわかりません。これだという瞬間はありません。
ただ、MITでの2つの印象深い授業をはじめ、あまり多くはないとはいえ、ハーバードで学んで理解できたことがありました。当時、都市工学とかアーバン・デザインとか、アメリカでも日本でも言葉だけが先行して中身が乏しく、面白い授業もなかったのは、なぜか、というその理由です。
それは、都市工学といったって、都市そのものを「工学的(数理的、計量的)」に分析したり設計したりできるのではない。アーバン・デザインも同様です。デザインできるのは、都市という茫洋としたものではなく、ともに個別具体的なシステムなのだということです。
つまり、デザインする対象は、「都市システム」であり、「アーバン・システム」なのです。都市全体というより、それを支えるサブシステムに分解するとデザイン可能なサイズになるのです。都市の建物や道路は目に見えますが、それらをうまく駆動させるためのオペレーティング(運営)・システム(OS)というべき都市システムは目には見えないものです。たとえば、交通信号の体系や、交通違反の体系も都市システムの1つです。
その目に見えない都市システムをデザインすることが重要であるのに、そこのところの方法論が明確にされないままに、都市工学やアーバン・デザインの学科をつくったせいもあるのだと思いましたが、相変わらず触れて目に見える物をつくる建築家たちによる授業が多かったのです。たとえば、都市デザインといってもタウンスケープというフィジカル・デザインに偏っていて、あまり面白くなかったわけです。
建築家は建築というハードウェアをつくれても、ここで言っているような都市システムというオペレーティング・システム・ソフトウェアやコンテンツはつくれるわけではありません。そういうデザインの訓練を受けていませんから。
そう考えると、その延長で、社会工学というけれど、社会という、都市よりも巨大で一層茫洋とした、捉えどころのないものを人間がデザインすることはできない、でも、社会システムならとらえどころがあり、もっと言えば、とらえどころのあるサイズを社会から切り取ることでデザインできるのではないかと、おぼろげながら考えが浮かんだのです。