組織全体の数値が、個々の従業員の状況を表しているとは限らない。全体のパフォーマンスは、個々のパフォーマンスの積み上げで決まるものであり、全体の数字を上げることをゴールにしてはいけない。

離職率は低ければいいというものではない

 離職率とは、一般的に低いほうがいいとされる数値です。離職率の高い会社は、働く環境として何らかの問題があって辞める人が多いという仮説であり、企業にとっても、新しい人を採用し教育するコストが発生することで効率が悪くなります。

 しかし、辞める人の理由は人それぞれです。いまの仕事が楽しくても、もっと夢中になれそうな仕事を他社に見つけ転職する、あるいは、みずから事業を起こそうとする。こういう人の退職は、その人にとっても喜ばしいことですし、企業としても一時的に戦力ダウンや新たな採用コストがかかるにせよ、長期的には、このように社員が流動する会社はむしろ非常に活気があり、魅力的な人材を引きつけるのではないでしょうか。

 リクルートなどはその代表と言えます。同社で学んだ経験を活かし、他社で活き活きと仕事をしている人を多く見かけます。おそらくリクルートでも相当活躍していたであろう人が抜けてしまったと推測しますが、それでも同社の成長は止まらず、次から次へと人材が輩出される。そして、この活力に魅力を感じ、就職先企業としても人気が高いという好循環が回っています。

 そして、離職率が低いことが必ずしもいいこととは言えません。転職には、それなりのパワーがいるものです。いまの仕事が必ずしも満足しているわけではなく、かといって転職するほどでもない。また労働市場での市場価値に自信が持てない人は、転職さえ前向きに考えられないでしょう。会社にとっても新たなコストが発生しないことや組織の意思疎通が図りやすいメリットはありますが、事業の成長とともに従業員が増大していない企業では、組織の新陳代謝が進まない状況であり、決して手放しで喜べる話しではないはずです。

 つまり、離職率を比較しても、その企業の組織の状況や、個々の社員の仕事の満足度は測れないのです。

 従業員を「仕事への満足・不満」と「離職する・しない」の二軸で分類すると、不満を抱えて会社を辞めていく人より、不満をもちながら離職という選択肢を取れない社員がいたとしたら、より大きな問題ではないでしょうか。このような課題を抱えた人の存在は、離職率には現れません。

 我々は組織や集団の状況を数値で可視化しようとします。それによって、他との比較や時間的な推移が見られるからです。しかし、それぞれの人の思いが抜け落ちた「合成の誤謬」に陥っていないかを、常に見るようにする必要があります。

 大学の進学率が高まることは国としての教育水準が上がったことになります。しかし、大学とはまるで違う環境に身をおくことが、その人の個性を活かす場合も当然ある。社会全体の水準を上げるということは、本質的に個々の人が多様な選択肢の中から自分に合う道を選択できる状態が高まることです。組織は方向性を明確にする一方で、こういう「個の思い」が起点であるという発想を忘れないようにしたいものです。個の力がますます重要になる時代です。(編集長・岩佐文夫)