チャンスと可能性は
つくり出すものである

 私が育ったのはとても裕福な町だった。しかし、我が家は両親が幼い時に離婚し、父親は私のことをあまり構わず、貧しかった。同じ年頃の子どもたちはリトルリーグやポップワーナーで野球やフットボールをしていたが、私はといえば8歳の頃には、芝刈りをしてお金を稼ごうとしていた。

 高校に通い出してすぐわかったのは、スポーツチームに入っていると、社会との関わりがおのずと増すということだ。生まれつき運動は得意なほうだが、団体スポーツはしたことがない。バスケットボール、野球、フットボールなどのチームに入ろうとしたものの、どれもうまくできなかった。

 通っていた高校には男子のラクロスチームがなく、これならみんなやり方を知らないはずだから私と同じレベルだと考えた。そこで学校側を説得し、部員とコーチを私が見つけられたらチームの設置を認めてもらうことにした。部員とコーチは見つかり、最終的に私もラクロスが上達して、チームのキャプテンとなった。