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震災を機に変容した
宮城県牡鹿郡女川町
2011年3月11日に起きた東日本大震災で、町のほぼすべての機能を失った宮城県牡鹿郡女川町(写真「震災前の女川町」「震災後の女川町」を参照)。壊滅的な被害にもかかわらず、迅速に復興ビジョンを策定・合意し、町をゼロからつくる2018年度完工予定の大がかりな工事に着手した。主要産業である水産業の施設は早期に再建され、2015年3月にJR女川駅が、12月には駅前商店街がオープンするなど、「復興の早い町」として注目を集めてきた。
こうしたハード面の復興と並行して、「女川とはどういう町なのか」という町のあり方を再定義するような変容が起きていた。震災前の女川町は、水産業を基盤にしつつ女川原子力発電所の交付金に依存した閉じた経済圏をつくっていた。それがいまや、「START! ONAGAWA── あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」を町のテーマとして掲げ、新しく何かを始めたいという人や企業が集まりチャレンジする開かれた町になったのである。
駅前商店街には、スペインタイル工房、ギター工房、クラフトビールバー、石けん工房など、町内外の人が震災後に起業したユニークな企業が店を連ね、また、長期インターンをする東京の大学生や、女川に研修に来た一流企業のマネジャーなど、震災前の女川では見かけなかった人たちに出食わす。海外の大学や政府からの訪問も相次いでいる。しかも最初からそういう町にしようとしていたわけではなく、さまざまな変化が増幅した結果、気づいたらそうなっていた、という変容だ。